東京地方裁判所 昭和54年(ワ)10719号 判決 1988年10月31日
原告
上杉義文
原告
上杉マサ子
右両名訴訟代理人弁護士
服部弘志
同
浅岡輝彦
同
庭山正一郎
同
山田伸男
被告
学校法人日本医科大学
右代表者理事
永井氾
被告
中沢省三
被告
志村俊郎
被告
小林士郎
右四名訴訟代理人弁護士
今井文雄
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告らに対し、それぞれ金一〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年一月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
主文同旨
第二 当事者の主張
一 請求原因
1(当事者)
原告上杉義文(以下「原告義文」という。)は、訴外亡上杉真由美(以下「真由美」という。)の父であり、原告上杉マサ子(以下「原告マサ子」という。)は真由美の母である。
被告学校法人日本医科大学(以下「被告日本医科大学」という。)は、その付属施設として日本医科大学附属病院(以下「本件病院」という。)を経営している。
被告中沢省三(以下「被告中沢」という。)は被告日本医科大学脳神経外科教授で本件病院脳神経外科部長の地位にある医師であり、被告志村俊郎(以下「被告志村」という。)及び同小林士郎(以下「被告小林」という。)は本件病院に勤務する医師で真由美の主治医であった者である(以下、右三名の医師を総称する場合には「被告医師ら」という。)。
2(本件病院入院に至る経緯)
(一)(本件疾患の発症)
真由美は、昭和五二年一月上旬ころ、突如痙攣発作を起こして倒れ、付近の病院の医師から脳疾患の有無を精査する必要がある旨指摘されて、同月二六日、訴外都立墨東病院(以下「墨東病院」という。)脳神経外科に入院した。
(二)(墨東病院における診療)
精密検査の結果、真由美は脳腫瘍と診断され、同年三月一日同病院において脳腫瘍の切除手術が行われた。同年五月三一日真由美は同病院を退院したが、同年八月二五日再び痙攣発作を起こし、再度墨東病院に入院した。同病院の訴外土田医長は、診察の結果、原告らに対し、脳腫瘍が再び増大し始めていて、この種腫瘍の再発を完全に抑制することは極めて困難である旨を告げた。
原告らは、以後真由美に対してはいわゆる丸山ワクチン(訴外丸山千里博士の研究及び発明に係る結核菌体抽出物質。以下「丸山ワクチン」という。)投与による治療を受けさせることを希望し、その旨同医長に申し入れて了解を得た。以後しばらくの間丸山ワクチン投与による治療が行われたが、墨東病院においては本来丸山ワクチンを使用しないという慣行があったため、原告らは、同医長に迷惑が及ぶことを懸念して、真由美を同年九月一八日同病院から退院させた。
(三)(本件病院へ赴いた経緯)
原告らは、丸山ワクチンの使用を容認する大病院に真由美を入院させたいと考え、同年九月二一日、前記丸山千里博士(以下「訴外丸山」という。)が名誉教授として在籍する本件病院に赴いた。
3(本件病院への入院と診療契約の締結)
原告らは、昭和五二年九月二二日、真由美が本件病院の脳神経外科教授である被告中沢の診療を受けた際、同被告に対し、真由美に対する治療として丸山ワクチンの使用を申し込んだ。同被告は、原告らに対し、当面手術を施行すること及び丸山ワクチンを単独又は他の治療法と併用して可能な限り使用することを約束し、同日、真由美は本件病院に入院した。
右のとおり、原告らは、真由美の親権者として、右同日、本件病院との間で真由美の疾患に関する診療契約を締結した。右契約は、同病院の側において、真由美の病状経過をその都度的確に把握して原告らに告知するとともに、その都度、原告らの希望を最大限生かしつつ、可能な限り適時適切に丸山ワクチンを単独又は他の療法と併用して使用することによって治療を行うことをその内容とするものであった。
4(本件病院入院後の事実経過)
(一)(本件病院における診療経過)
(1)(脳腫瘍切除手術の施行)
昭和五二年九月二八日、被告中沢の執刀により、真由美の脳腫瘍切除手術が行われた(以下右手術を「第一回手術」という。)。
その後、抗癌剤投与と放射線照射が継続的に行われたが、再度腫瘍が増殖したため、同年一月二五日被告中沢により再び切除手術が施行され(以下右手術を「第二回手術」という。)、更に抗癌剤投与と放射線照射による治療が継続的に行われた。
この間、被告小林及び同志村は、真由美の主治医として、被告中沢の下で一貫して(被告小林は治療開始の当初から、同志村は同年一〇月上旬以降)その治療に当たっていた。
(2)(丸山ワクチンの投与)
昭和五二年内の治療は、主として、脳腫瘍切除手術、抗癌剤投与及び放射線照射が中心であったが、入院の直後から丸山ワクチンの投与も併用して行われていた。
同年一二月二八日から昭和五三年一月四日までの間真由美は正月休みのため帰宅外泊の許可を受けたが、右帰宅中も丸山ワクチンの投与は継続されていた。
同年一月四日の帰院後、翌五日から放射線照射が再開されたものの、照射量が人体許容量の限界に達していたため、数日後には放射線照射は打ち切られ、その時点で真由美の治療は丸山ワクチンの投与に一本化された。
(3)(丸山ワクチン投与による腫瘍増大の停止及び縮小)
本件病院においては、月二回の割合で定期的にコンピューター断層撮影(いわゆる「CTスキャン」。以下右呼称による。)による脳腫瘍の診断が行われていた。昭和五二年内の右撮影による診断では、手術後切除の結果として腫瘍がより小さくなったことはあっても、腫瘍の増殖活動そのものが停止したことは一度もなかった。ところが、昭和五三年一月九日に施行された撮影の結果、前回の撮影(昭和五二年一二月二〇日施行)と比較しても腫瘍の増大は全く見られず、腫瘍は右側脳室体部に限局されており、腫瘍の増殖活動が少なくともその間停止していることが明らかとなった。
さらに、昭和五三年一月二五日の撮影では、腫瘍は前回(一月九日施行分)よりも縮小していることが判明した。
右のとおり、過去通算三回の手術にもかかわらず、また、抗癌剤投与及び人体許容量限界までの放射線の照射の施行にもかかわらず制圧できなかった腫瘍は、丸山ワクチンによる治療に一本化してからほぼ一箇月で縮小に向かっていたのである。
後記(5)のとおり丸山ワクチンの投与は同年二月九日をもって中止されたが、その直後である同年二月一三日に実施されたCTスキャンの結果によると、真由美の腫瘍は完全に消失していたものであり、右撮影実施の時期にかんがみると、右腫瘍の消失の原因は従前の丸山ワクチン投与の成果であることは明らかである。
(4)(丸山ワクチン投与による臨床症状の軽快)
昭和五三年に入って真由美に対する治療が丸山ワクチン投与に一本化されて以降、真由美の臨床症状は著しく改善され、食欲の増進も著しく、被告医師らは、同年一月一三日から一五日まで真由美に対し帰宅外泊の許可を与えている。
丸山ワクチン一本化投与以前及び一本化投与期間中における真由美の臨床症状の経過の詳細は、別紙1「真由美の臨床症状の推移」の一ないし三及び四1のとおりである。
右の経過は、前記のとおりCTスキャン上腫瘍が縮小ないし消失したと解される昭和五三年一月二五日から二月一三日にかけて、真由美の臨床症状が極めて良好のうちに推移し、腫瘍が治癒傾向にあることを示している。すなわち、二回にわたる手術、アドリアマイシンの局所注入、コバルト六〇の照射等の各種治療にもかかわらずその進行を止めることのできなかった真由美の病状は、丸山ワクチンの一本化投与によって奇跡的に回復に向かっていたのである。
(5)(丸山ワクチン投与の中止)
被告医師らは、何らの合理的理由もないのに、突然、昭和五三年二月九日以降丸山ワクチンの投与を中止し、ピシバニールの投与に変更した。
また、被告医師らは、同月一三日に実施したCTスキャンの結果真由美の腫瘍が完全に消失していることが判明したにもかかわらず、右腫瘍消失の事実を原告らに対して告知せず、被告小林において原告義文に対して腫瘍が小さくなっている旨を告げたのみで、その後もピシバニールの投与を継続した。
(6)(真由美の容態の悪化及び腫瘍の増殖)
① ピシバニール投与に変更した後の真由美の病状に関しては、同年二月一五日からピシバニールの副作用による発熱が出現し、その後急激に食欲が減退し、また、従前要求していた夜食や車椅子による病院内の散歩などの行動を一切欲しなくなり、同月下旬には栄養補給のために点滴注射が開始され、ベッドで寝たきりの状態になった。
右臨床症状の経過の詳細は、別紙1「真由美の臨床症状の推移」の四2及び五のとおりである。
右の経過は、丸山ワクチンの投与によって著しく回復に向かっていた真由美の症状が、丸山ワクチン投与の中止とピシバニール投与の開始によって、一転して坂道を転げ落ちるかのごとく悪化の一途をたどり、その間腫瘍の増大が急激に進行していったことを明白に示している。
② 原告らは、一見して明らかな真由美の容態の悪化を憂慮し、被告小林及び同志村に対し、ピシバニール投与を中止して丸山ワクチン投与を再開するよう申し入れたが、同被告らはこの申し入れを一顧だにすることなく、また、被告志村は、同年二月二二日には「一〇日後に丸山ワクチンに戻す」旨原告義文に約束しながらこれを全く履行しなかった。
③ 同年三月九日に行われたCTスキャンの結果、新しい腫瘍が増殖し始めていることが明らかになっていたにもかかわらず、被告小林は原告義文に対し、「別段変化はない。」と虚偽の告知をして同原告を安心させようとした。しかし、同月二〇日に行われたCTスキャンの結果、腫瘍の再発及び増殖の事実は明白であったため、同被告は、原告らの強い申出により、丸山ワクチン投与の再開を約束した。同被告は、右約束を直ちに履行しなかったが、後日被告中沢の指示もあってようやく不承不承これを履行するに至った。
(7)(丸山ワクチン投与の再開)
ここに至って、再び丸山ワクチンの投与が再開されたが、同年二月九日以降四〇日以上の間丸山ワクチンを使用せずその間腫瘍の増殖を放置した結果、もはや丸山ワクチン投与の再開は余りにも時期に遅れたものであり、真由美の病状は好転しなかった。
(二)(被告志村の説明と退院後の経過)
(1) 原告らは、真由美の病状の先行きについて悲観的になっていたため、真由美に家庭生活を味わせたいと願い、同年三月三〇日の時点で、同年四月八日付けで退院させることの了解を被告医師らから得た。
(2) 同年四月一日、原告義文は被告志村に会い、真由美の病状経過の説明を求めたところ、同被告は、同年二月一三日及び三月九日に実施されたCTスキャンの結果をスライドに基づいて説明し、同年二月一三日には腫瘍が消失していたこと及び三月九日には腫瘍の増殖活動の再開が明白になっていたことを原告らに告げ、これによって右の事実が原告らの知るところとなった。
(3) 同年四月八日、真由美は予定どおり退院し、以後は自宅において丸山ワクチンを投与して療養していたが、容態は悪化するばかりであり、同月二〇日に言語障害と口腔麻痺を生じ、同月二五日に本件病院で実施したCTスキャンでは、腫瘍が脳神経束にまで及んでおり、もはや回復の見込みのない状態であることが判明するに至った。
(4) 同年五月九日真由美は本件病院に再入院したが、原告らは、もはや真由美に対する治療を全く放棄した本件病院の代わりに、当時末期癌患者の治療で有名であった訴外佐藤一英医師の下で最後の治療を受けさせてやりたいと願い、同医師の勤務する訴外真木病院に入院させることで関係者の了解を得、同月二二日、真由美を同病院に転院させた。
(三)(真由美の死亡)
真由美は、訴外真木病院において訴外佐藤医師の下で治療を受け、一時的な病状の好転はあったが、同医師の勧告で同年七月一七日訴外国立高崎病院に転院した後、同月二三日午前四時三〇分ころ同病院において死亡するに至った。
5(被告らの責任)
(一)(被告日本医科大学の責任)
(1)(債務不履行責任)
被告医師らは、丸山ワクチンによる治療効果が現れつつあった昭和五三年二月九日以降、原告らの反対にもかかわらず、強引に丸山ワクチン投与を中止してピシバニール投与に切り替え、かつ、被告小林において同年二月一三日及び三月九日のCTスキャン実施結果につき原告らに虚偽の事実を報告して原告らが真由美の病状把握を適切に行うことを妨害し、また、被告志村において同年二月二二日には一〇日後に丸山ワクチン投与を再開する旨約束しながらこれを履行せず、真由美に対し丸山ワクチンを適切に使用することを意図的に排斥して、前記3の診療契約に違反した。
被告医師らが昭和五三年二月九日以降も丸山ワクチンを継続投与していたならば、真由美の脳腫瘍は完全に治癒し得たはずである。しかるに、被告医師らは、丸山ワクチン投与を中止したばかりか、その後真由美の病状を原告らに伝えることを怠り丸山ワクチン投与再開の機会を失わせ、更に丸山ワクチン投与再開の約束に違反するなど、真由美の死期を積極的に早める行為を行い、その結果、同年七月二三日真由美を死亡するに至らしめたものである。
したがって、被告日本医科大学は、その履行補助者である被告医師らの右行為について、前記3の診療契約上の債務不履行責任を負うものである。
(2)(不法行為責任――使用者責任)
被告日本医科大学は、被告医師らによる次の(二)の各不法行為について、その使用者として民法七一五条の責任を負うものである。
(二)(被告医師らの責任)
(1)(診療行為上の不法行為責任)
被告医師らは、真由美の担当医として、脳腫瘍治療のため最善を尽くすべき義務がある。特に、抗癌剤及び放射線による治療が限界に達したため丸山ワクチンのみによる治療を施すに至った段階では、丸山ワクチン投与による最大限の治療効果を得るべく最大の努力をすべき注意義務があり、しかも、昭和五三年二月九日の段階では従前の丸山ワクチン投与が治療効果をあげつつあること及び丸山ワクチン投与を中止することは真由美に死の結果をもたらすことを予見しながら、あえて丸山ワクチンの投与を中止し、また、その後、一刻も早く丸山ワクチンの投与を再開しなければ真由美の死期を早めることを予見しながら、丸山ワクチン投与の再開を故意に遅らせ、その結果、真由美を死に至らしめたものである。
よって、被告医師らは、民法七〇九条に基づく不法行為責任を免れない。
(2)(患者の知る権利及び自己決定権に対する侵害による不法行為責任)
患者(患者が未成年であって、単独で情報内容を正確に知りかつ的確に選択権の行使をすることが困難な場合には、その意思を代行する親権者。以下同じ。)は、自己の置かれた状況を理解するために必要なすべての情報を得る権利を有する。その中には、将来行われる予定の検査及び治療の目的、方法、内容、危険性、予後及び代替処置の有無、既に実施された検査、診察、診断、治療の内容及びその結果、病状経過等について、十分な理解が得られるまで医師から説明を受ける権利が含まれる(患者の知る権利)。また、患者は、十分に告知された情報と医師の誠意ある助言及び協力を得た上で、自己の自由な意思に基づいて検査及び治療その他の医療行為を受け、選択し、あるいは拒否する権利を有する(患者の自己決定権)。なお、医師は患者に対する治療につき最適と判断する内容を患者に示す義務はあるが、この義務は患者の自己決定権に優越するものではない。
本件の場合、真由美は、本件病院入院時において満一六歳であったから、右の各権利はその親権者である原告らが代行すべきものである。したがって、真由美に対する治療方針の決定、とりわけ丸山ワクチン投与の中止、ピシバニールへの変更、アドリアマイシンの並行投与の可否等の諸事項の判断は、被告医師らから十分な説明がされ、十分な情報の提供がされた上で原告ら自身が行うべきものである。
しかるに、被告医師らは、原告らに対し、PPD皮膚反応の結果が陽性である可能性があるのに陰性であると即断してその旨を告げ、PHA皮膚反応等の他の免疫応答能検査の結果では真由美の免疫状態は正常域にあることを秘匿する等、医学的に正確な情報を告知しないまま、丸山ワクチン投与の中止とピシバニールへの変更をひたすら強要した。また、被告医師らは、再三にわたって原告らから表明されたピシバニールへの変更の拒絶と訴外丸山による数度の説得に対しあからさまに敵意を示し、これらを黙殺した上、被告らの治療方針に応じない場合には主治医の辞退及び患者の転院をもって処する旨を示唆することにより、原告らに対しピシバニールへの変更に同意するよう執拗に迫り続けた。被告医師らのこの強要行為は、医師として尽くすべき説得の範囲をはるかに超えている。
かかる被告医師らの偏ぱでありかつ実質的にはなきに等しい情報提供及び説明は、原告らの知る権利に対する侵害であり、また、前記の強要行為と丸山ワクチンの中止、ピシバニールへの変更、アドリアマイシンの再実施は、原告らの自己決定権の侵害であって、いずれも違法な措置として不法行為を構成するものである。
(3)(治療に対する期待権の侵害)
原告ら及び真由美は、真由美の病気が外科療法、化学療法、或いは放射線照射療法では治癒させることができないものであることを自覚して、丸山ワクチンによる療法を期待して真由美を墨東病院から本件病院に転院させたものであり、かつその期待を被告医師らに告げていた。一方、被告医師らも右原告ら及び真由美の期待を認識しかつ承諾して真由美の入院を受け入れた。したがって、原告ら及び真由美は、被告医師らに対し、真由美の治療をするに当たって医学的見地から誤りでない限り、丸山ワクチンによる療法を最大限誠実に適用することを期待する権利があり、被告医師らは右期待権を侵害しないように治療する注意義務があった。
しかるに、昭和五三年二月九日の段階では従前の丸山ワクチン投与の治療効果があがりつつあり、また仮にそれが断定できないとしても、少なくとも臨床症状及びCT写真上の所見は悪化の徴候がなかったのであるから、被告医師らが原告らの反対を押し切って丸山ワクチン投与を中止したことは、前記注意義務に違反し、原告らの右期待権を侵害したものである。また、仮に真由美の病状に悪化の徴候が認められたとしても、投与薬を変更するためには、原告らの期待に背いてもなお変更を必須とする医学上の十分な根拠がなければならないが、ピシバニールに変更すべき医学上の根拠は曖昧であり、真由美の免疫応答能を誠実に判定することもなく、安易に変更したものである。また、仮に免疫応答能が免疫不全の状態であったとしても、ピシバニールに変更しなければならない積極的な根拠はなかった。したがって、いずれにしても被告医師らがピシバニールに変更した行為は原告らの期待権を侵害したものというべきである。
6(原告らの損害)
(一)(真由美の損害)
(1)(逸失利益)
真由美は、死亡当時満一六歳五箇月であった。被告医師らが真由美に対し昭和五三年二月九日以降も丸山ワクチンを継続投与していたならば、真由美は脳腫瘍の完治によって平均寿命を全うし得たはずである。
したがって、原告ら及び真由美の知的水準及び経済状態からすれは、真由美は、本件医療事故がなければ満二〇歳で短期大学を卒業後、女子の平均寿命である満六七歳までの四八年間稼働することが可能であったというべきであり、その間収入として少なくとも短大卒の女子労働者の平均賃金を得ることができたはずである。そこで、昭和五二年度賃金センサス第一表を参照し、これによって真由美の得べかりし各年度ごとの収入額を算出し、これからホフマン式計算によって各年度ごとに年五分の割合による中間利息を控除し、生活費控除を五〇パーセントと想定して算出すると、別紙計算表記載のとおり合計三二二七万四五八九円となる。
(2)(延命利益及び精神的損害)
被告医師らの丸山ワクチン投与を中止してピシバニールに変更した措置により、真由美の死期は早められ、又は精神的な苦痛を受けた。
(二)(原告らの相続)
真由美には原告ら以外に相続人はいないから、真由美の死亡によって、原告らは相続により真由美の前記(一)の損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ取得した。
(三)(原告ら固有の損害)
被告医師らの本件医療事故ないし丸山ワクチン投与を中止してピシバニールに変更した措置により原告らの受けた精神的苦痛は計り知れず、これを慰謝するには相当の金員をもってしてもなお足りない。
(四)(本訴における請求額)
以上のとおり、原告らが被告に対し損害賠償として請求し得る金額は、逸失利益及び慰謝料に関する伝統的な考え方に従っても優に四〇〇〇万円を超えることは明らかであるが、原告らは、本件医療事故による損害は一括して慰謝料として賠償すべきものと考え、本訴においては、各原告において、被告らに対しそれぞれ九〇〇万円の支払を求めるものである。
(五)(弁護士費用)
原告らは、昭和五四年七月一三日、原告ら訴訟代理人との間で訴訟委任契約を締結し、着手金及び成功報酬として各一五五万円、原告両名合計三一〇万円を支払う旨を約したが、このうち本件医療事故と相当因果関係にある損害として被告らが負担すべき金額は、各原告につきそれぞれ一〇〇万円(合計二〇〇万円)である。
7 よって、原告らは、それぞれ、被告らに対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自金一〇〇〇万円及びこれに対する本件医療事故の後である昭和五四年一月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する答弁
1 請求原因1は認める。
2(一) 請求原因2(一)は認める。
(二) 同(二)のうち、墨東病院における精密検査の結果真由美は脳腫瘍と診断され、昭和五二年三月一日同病院において脳腫瘍の切除手術が行われたこと、同年五月三一日真由美は同病院を退院したが、同年八月二五日再び痙攣発作を起こし、再度墨東病院に入院したことは認め、その余は不知。
(三) 同(三)は認める。
3 請求原因3のうち、被告中沢の原告両名に対する約束内容の点は争い、その余は認める。
右初診の際被告中沢が原告両名に告げた内容は、丸山ワクチンの使用を希望するのであれば、それを併用療法として使用するが、治療は被告日本医科大学脳神経外科部の脳腫瘍に対する基本方針(手術、化学療法、放射線の照射など)に基づきこれを行う、この患者は速やかに手術をしなければ延命できないのでまず手術を行う、ということであり、原告両名の同意を得た。
すなわち、原告らと被告日本医科大学との間の契約の内容は、真由美の脳腫瘍の治療については、当時の医学水準に則った手術、化学療法、放射線の照射等、被告日本医科大学脳神経外科の従来からの治療方針に従ってこれを行い、これに丸山ワクチンを併用する、というものであった。
4(一)(1) 請求原因4(一)は認める。
(2) 同4(一)(2)のうち、昭和五二年内の治療は主として脳腫瘍切除手術、抗癌剤投与及び放射線照射が中心であったが、入院の直後から丸山ワクチンの投与も併用して行われていたこと、同年一二月二八日から昭和五三年一月四日までの間真由美は帰宅外泊の許可を受けたこと、右帰宅中も丸山ワクチンの投与は継続されていたこと、帰院後放射線照射が再開されたこと(ただし、再開されたのは一月五日からではなく四日からである。)、以上の事実は認め、その余は否認する。
被告医師らが外泊を許可したのは、真由美の余命がいくばくもない蓋然性が高く、最後の正月になるかもしれないと考えたためであり、その旨を原告両名に告げ、これを許可したものである。
放射線照射は、昭和五三年一月一九日まで続けられたが、真由美の白血球が減少したため、やむなく一時中断して白血球の増加を図ることとし、それが改善された同年三月七日照射を再開した。
(3) 同4(一)(3)のうち、本件病院において入院全期間を通じて随時CTスキャンが行われていたこと、昭和五二年一二月二〇日、昭和五三年一月九日及び同月二五日にそれぞれCTスキャンが施行されたこと、手術で腫瘍を切除した結果腫瘍が肉眼上なくなったこと、腫瘍の増殖活動そのものが停止したことが一度もなかったこと、以上の事実は認め、その余は否認する。
昭和五三年一月九日当時原告主張のように腫瘍の増殖活動が停止していた所見は全くない。
また、昭和五三年一月二五日のCTスキャンの結果、前回(同年一月九日)より更に病像は増大しており、右側からの圧排のため視交叉槽の変型が出現した。腫瘍が縮小に向かっていた所見は全くない。
さらに、同年二月一三日に実施されたCTスキャンの結果においては、前回(同年一月二五日)よりもますます病像は増大していることが認められ、また、前回出現した視交叉槽の変型がその右側に前頭葉部の腫瘍が浸潤性に増殖してきたため生じた圧排によるものであることが確認されており、腫瘍が完全に消失したというような状態では全くない。
(4) 同4(一)(4)のうち、被告医師らが原告主張の日の外泊を許可したことは認めるが、その余は否認する。
真由美の食欲は引続き低下の傾向にあり、臨床症状の経過としては、後記被告らの主張10のとおり、悪性脳腫瘍の症例一般にみられるのと全く同じ経過をたどって徐々に悪化していた。
真由美の臨床症状の経過に関する別紙1「真由美の臨床症状の推移」一ないし三及び四1の各主張については、診療録及び看護記録に原告主張のような趣旨の記載のあることは認めるが、その余は争う。右各主張に対する被告らの反論の詳細は、後記被告らの主張10及び別紙2「真由美の臨床症状の推移に関する被告らの反論」一ないし三及び四1のとおりである。
また、外泊許可の理由は、前記の正月の外泊の場合と同様、真由美の余命がいくばくもない恐れがあるため、治療の必要又は病状の急激な悪化などの外泊し得ない特段の事情のない限り、週末には自宅で過ごせるように配慮したためである。ちなみに、真由美は、原告主張の日以外にも、昭和五三年一月二一、二二日、二八、二九日、二月四、五日、三月四、五日、一一、一二日、一八、一九日の各土、日曜日には外泊している。
(5) 同4(一)(5)のうち、丸山ワクチンの投与を中断し、同年二月九日以降ピシバニールの投与を始めこれを継続したこと、同月一三日にCTスキャンを施行したことは認め、その余は否認する。
(6) 同4(一)(6)について
① 同①のうち、真由美が昭和五三年二月一五日発熱したこと、そのころ食欲が低下していたこと、従前車椅子で病院内を散歩していたことは認め、真由美が夜食を要求していたことは不知、その余は否認する。
発熱は昭和五三年二月一五日のみの一過性のものであり(二月一四日中は三六度台、二月一六日午前六時には36.0度に降下した。その後退院までの間に終日三七度を超えた日はない。)、発熱の原因がピシバニールの副作用とはにわかに断じ難い。車椅子での散歩はその後も行っている。二月二一、二二日に施行したのは新鮮血の輸血であるが、その目的は放射線照射を続けるための白血球の増加を図るためであった。
ピシバニール投与開始後の真由美の臨床症状は、後記被告らの主張10のとおり、悪性脳腫瘍の症例一般にみられるのと全く同じ経過をたどって徐々に悪化していたものである。真由美の臨床症状の経過に関する別紙1「真由美の臨床症状の推移」四2及び五の各主張については、診療録及び看護記録に原告主張のような趣旨の記載のあることは認めるが、その余は争う。右各主張に対する被告らの反論の詳細は、後記被告らの主張10及び別紙2「真由美の臨床症状の推移に関する被告らの反論」四2及び五のとおりである。
② 同②のうち、原告義文が被告志村及び被告小林に対しピシバニール投与を中止して丸山ワクチン投与を再開するよう申し入れたこと、被告志村が同年二月二二日ころ原告義文と面接したことは認め、その余は否認する。
被告志村は、原告義文との面接の際、「ピシバニールが維持量に達し副作用がないことが決定したら丸山ワクチンを併用して使用する。それまでは一〇日間位かかる。」旨説明した。
なお、丸山ワクチンの投与は三月一一日(土曜)から再開する予定であったが、真由美の週末外泊のため同月一三日から再開実施されて退院時まで継続され、退院後は自宅で続けられ、再入院後も被告医師らにより投与が続けられた。
③ 同③のうち、同年三月九日及び同月二〇日にCTスキャンを実施したこと、同月二一日ころ被告小林において原告義文に右CTスキャンの写真を示して説明をしたことは認め、その余は否認する。
同年三月九日に施行したCTスキャンの結果によると、従来のCTスキャンで認められた脳腫瘍以外に更に右側脳室体部に新しい腫瘍の出現が認められたが、被告小林は、原告義文にその旨をありのままに告げた。同月二〇日に施行したCTスキャンは、放射線照射が終了したのでその効果をみるために行ったが、その結果によると、腫瘍は脳の深部や脳底槽に向かって、浸潤、増殖し続けていることがいよいよ確実に認められるに至った。腫瘍は、手術以降全期間を通じて休むことなく浸潤、増殖を続け、遂に脳幹に到達したのである。
丸山ワクチンの投与の再開は、原告主張のように同月二〇日以降被告小林が約束し後日右約束を不承不承履行するに至ったものではない。このことは同月一〇日ころその再開を決定し同月一三日から実行していることから明白である。
(7) 同4(一)(7)のうち、真由美の病状が好転しなかったことは認め、その余は否認する。
(二)(1) 同4(二)(1)は認める。
退院日を昭和五三年四月八日としたのは、同年三月二一日から再開したアドリアマイシンの投与の計画量(5.0ミリグラム)に達するのが右当日であったためである。
(2) 同4(二)(2)のうち、昭和五三年四月一日、原告義文が被告志村に会い真由美の病状経過の説明を求めたのを受けて、同被告が同年二月一三日及び三月九日に実施されたCTスキャンの結果をスライドに基づいて説明したことは認め、その余は否認する。
(3) 同4(二)(3)は認める。
ただし、もはや回復の見込みのない状態であることが判明したのは、同年四月二五日施行のCTスキャンの結果によるものではない。腫瘍が脳幹部に到達したことは、同年三月二〇日施行のCTスキャンによっても明らかである。
(4) 同4(二)(4)のうち、被告医師らが再入院後真由美の治療を全く放棄したことは否認し、その余は認める。
(三) 同4(三)は不知。
5 請求原因5は争う。
6 請求原因6は争う。
三 被告らの主張
1(初診時の状況)
昭和五二年九月二二日本件病院において行った真由美のCTスキャン(第一回)の所見では、右大脳半球の側頭葉を中心として、頭頂葉、前頭葉、後頭葉にまで波及している巨大な脳腫瘍が認められた。この腫瘍は、底面付近が固形性でその中に壊死巣があり、上方へ進むにつれて嚢胞性となっていた。腫瘍の周辺部は高吸収域となり、嚢胞壁も多房性高吸収域を示し、いずれも増強効果が著明な悪性腫瘍であった。右脳室及び第三脳室は完全に圧排されてその大部分が消失し(右脳室前角及び第三脳室のそれぞれごく一部のみが残存している。)、また、左側脳室も左方へ偏位著明で、脳ヘルニアを起こしていた。
被告中沢は、このような所見からみて、真由美の病状は、右大脳半球中心部に発生し、右大脳半球の約二分の一ないし三分の一を占める巨大な悪性腫瘍であると診断した。既に脳ヘルニアを来し、臨床的にも意識障害が出現し始めており、左半身麻痺、両側眼底にうっ血乳頭が最盛期にあると認められた。
2(治療方針)
(一) 初診時の右のような診断の結果、被告中沢を初めとする被告医師らは、手術により早急に頭蓋内圧の減圧を図らなければ、まもなく脳ヘルニアで死亡するであろうと予測した。
しかしながら、この悪性像からみて手術による全剔出は不可能であると考えた。剔出し得るだけ剔出して残部を抗癌剤やコバルト六〇の照射療法で撲滅させる以外にないが、はたして撲滅するところまでいくかどうか危ぶまれるところであった。
悪性脳腫瘍の治療法の原則は、手術療法、化学療法(抗癌剤の投与)、放射線照射療法(コバルト六〇の照射)が三本の柱であり、被告日本医科大学脳神経外科では、免疫療法はその次順位の補助的な療法として位置付けるとの方針をとっている。
(二) 被告中沢は、右診断の結果及び治療方針を原告義文に告げ、その同意を得て入院が決められた。その際原告義文は丸山ワクチンの使用を希望したので、被告中沢は、右の治療方針を併用する形でこれを使用することを承諾した。
(三) 丸山ワクチン(略称SSM)は、訴外丸山が開発した人間の結核菌体抽出物質で、これを悪性腫瘍患者に投与することにより、宿主の免疫力を賦活し、抗腫瘍効果を得させようとするものである。悪性腫瘍に対する免疫療法薬としては、他にBCG(牛の結核菌体抽出物質で結核の予防に用いられている。)や、ピシバニール(連鎖球菌の一種にペニシリンGを作用させたもの)などのワクチンがある。
3(第一回手術)
(一) 被告中沢は、同年九月二八日、真由美に対し顕微鏡下における腫瘍剔出術を施行した。前記の巨大な右大脳半球の腫瘍の大部分は除去されたが、深部の手術侵襲そのものが極めて危険なので、深部の腫瘍は残さざるを得なかった。抗癌剤を注入するため、オンマイヤチューブを挿入し、手術を終えた。
(二) 手術の結果、真由美は脳ヘルニアによる危険状態を脱し、左片麻痺も軽快し、頭痛、嘔吐等の脳圧亢進症状もとれ、すっかり元気になった。
(三) 同年一〇月一四日に施行されたCTスキャン(第二回)の所見によると、右大脳半球脳腫瘍の大部分は除去され、手術部位は低吸収域となっていた。左脳室の偏位も戻り、右側脳室及び第三脳室も出現し、偏位はとれていた。すなわち、脳ヘルニアの状態は改善され、患者は危険状態から脱出したものと認められた。しかし、右側側頭葉内面の視床部付近から右側脳室体部及び三角部、頭頂葉から後頭葉にかけて、増強効果により著明に増強される高吸収域がみられた。右前頭葉側面にまだらな高吸収域の増強効果がみられるが、この時点ではいまだ手術の影響もあるため、必ずしも脳腫瘍の浸潤によるものではないと判断された。
4(第一回手術後の治療状況)
(一)(抗癌剤アドリアマイシンの局所注入)
(1) 被告医師らは、化学療法として、同年一〇月一七日から、原告両名の同意の下に、抗癌剤であるアドリアマイシン(製品名アドリアシン)の局所注入を開始した。
アドリアマイシンは、癌細胞の核酸合成過程を阻害することにより、癌細胞の分裂を阻害するものと考えられている医薬品であり、通常静脈内に注射するのであるが、被告日本医科大学脳神経外科教室においては、オンマイヤチューブを通じて手術部位の局所に直接注入する方法(局所注入)を考案し成果を挙げているため、この方法によった。第一回目の計画は、一回0.5ミリグラムずつ一〇回、一一月四日までの隔日、合計5.0ミリグラムに達するまで投与し、余後の効力が持続する期間(約一、二箇月)休止し、状況をみて引続き次の投与を行う予定であった。
(2) 以後、アドリアマイシンの局所注入に関しては、その後第二回手術前の同年一一月二四日に臨時投与(0.5ミリグラム)を行ったほか、第一回目と同様の投与方法により、同年一二月三日以降二一日までの間隔日合計で3.0ミリグラムの投与を行い(第二回局所注入)、さらに、翌昭和五三年三月二一日以降四月八日までの間隔日合計で5.0ミリグラムの投与を行った(第三回局所注入)。
(二)(放射線の照射)
昭和五二年一一月九日から、放射線照射療法として、脳の悪性腫瘍細胞の撲滅を目的として、コバルト六〇の照射を開始した(一回の照射量一五〇ラド)。
その後、同年一一月二二日手術のため一時中断したが(同日までの累計量一六五〇ラド)、翌一二月二〇日から照射を再開し、同月二七日以降翌年一月三日までの年末年始の外泊期間を除いて同月一九日まで照射を続けた。
そして、右同日白血球減少のため再度照射を中断したが、その後、同年三月七日再度放射線照射を再開し、同月一四日照射予定量(総量四九五〇ラド)に達するに及んで右照射を終了した。
続行も検討したが、原告義文の中止の要請により断念した。
(三)(丸山ワクチンの投与)
それらの治療と並行して、免疫療法として、昭和五二年九月下旬の診療開始の当初から翌昭和五三年二月七日までの約四箇月半にわたって、原告らの希望に基づき、丸山ワクチンの投与が続けられた。
5(第二回手術)
(一) 昭和五二年一一月二日施行のCTスキャン(第三回)の所見によると、前回に比べ、第三脳室の右より左への圧排が出現してきた。
右側脳室三角部から体部にかけての腫瘍は前回より増大し、増強効果により著明に増強される高吸収域を示していた。右側頭葉底面にもリング状の増強がみられ、第一回手術では同部位の上方の腫瘍を亜全剔出しており、腫瘍は悪性で浸潤性であることから、同部位の変化は腫瘍の浸潤によるものと推認された。さらに、右前頭葉にも高吸収域を示すスポットの増強効果がみられたことから、この部位にも腫瘍が浸潤しているものと考えられた。
(二) さらに、放射線照射開始後の同年一一月一八日に施行されたCTスキャン(第四回)の所見によると、前回に比べ、更に第三脳室が右より左へ圧排され、右側脳室三角部から体部にかけての腫瘍、右頭頂葉から後頭部にかけて脳腫瘍は増大し、占拠性病変を形成していた。腫瘍は、更に深部では、右視床を圧迫浸潤する大きな病変を形成しており、また、右前頭葉にもまだらな高吸収域が認められ、増強効果がみられ、腫瘍の存在が推認された。
すなわち、腫瘍は再度確実に増大し、右大脳半球中心部に占拠性病変を形成して第三脳室を圧迫するとともに、前頭葉及び頭頂葉にも波及していると考えられた。
(三) 被告中沢を初めとする被告医師らは、これらのCTスキャンの所見からみて、次のとおり考えた。
(1) 前頭葉脳腫瘍は浸潤性であるが、右側脳室前角は圧迫されていない。この部位はまだ放置してもよいであろう。
(2) 右頭頂葉及び視床部を圧迫している腫瘍は、注意深く手術を進めるならば、かなり剔出できそうである。
(3) 全剔出は困難であるが、視床部ぎりぎりの線までできるだけ腫瘍をとれば、延命効果も期待できる。また、大部分脳腫瘍の剔除が行われれば残った腫瘍は抗癌剤の局所注入療法やコバルト六〇照射療法も効を奏する可能性が出てくる。
(4) 手術を行わなければ脳ヘルニアも再度起きる可能性が高く、このまま死を待つ以外にない。
(四) 右の結論から、同年一一月二五日第二回手術が行われた。顕微鏡下で時間をかけ、大血管に沿って浸潤している腫瘍を、血管を傷付けずにできる限り剔除し、視床部ぎりぎりのところまで剔出した。
(五) なお、第一回及び第二回手術により剔出した腫瘍組織を検査したところ、最終的には、肉腫の一種とされる血管周被細胞腫と判定された。
6(第二回手術後丸山ワクチン投与期間中のCTスキャン所見)
(一)(第五回CTスキャン(同年一一月二八日施行)の所見)
第三脳室の偏位はとれているので、減圧効果は十分にあったものと思われる。
右側頭、頭頂部の手術部位は、広範な低吸収域となっている。右側脳室体部には増強効果をもつ高吸収域があり、残存腫瘍を思わせる。
右前頭葉底面にはまだらな高吸収域がみられ、また、その表面にも増強効果のある高吸収域が認められ、腫瘍の存在が明らかに示唆される像となっている。
(二)(第六回CTスキャン(同年一二月七日施行)の所見)
(1) 脳室の偏位はないが、右前頭葉底面近くは、増強効果によりリング状の高吸収域とその周辺に点状の高吸収域を示す(腫瘍の存在が明らかに示唆される像となっている。)。手術部位は低吸収域を示すが、その周辺は増強効果により線状の高吸収域を示す。
右側脳室前角右側に高吸収域が認められる。
右大脳半球には右前頭葉、頭頂葉、側頭葉にかけて表面近くがかなり広い低吸収域となり、その底面より特に前頭葉外側面にかけてまだらな高吸収域となり、かつこれらは増強効果をもつ(腫瘍の存在が明らかに示唆される像となっている。)。
(2) 右のCTスキャン像のほか、患者の従前の経過、手術時の所見、剔出した腫瘍の病理組織学的所見、その他従来の検査所見等を総合して判断した結果、この時点において右前頭葉への浸潤が確実と診断され、表面近くでは右側頭葉及び右後頭葉にも波及していることが考えられた。
(三)(第七回CTスキャン(同年一二月二〇日施行)の所見)
(1) 右前頭葉表面近くにまだらな高吸収域を認め、増強効果により増強される。右側頭葉の手術部位は低吸収域となっており、その周囲は増強効果により線状の高吸収域を示す(腫瘍によるものか、反応性グリオージスによるものかは不明である。)。
また、右側脳室前角、第三脳室右壁及び右側脳室体部に増強効果により線状の高吸収域が認められる。右側脳室体部にはニーボー(水平面)を形成した高吸収域が認められ、この部の出血を思わせる所見である。
(2) 被告中沢は、右の所見から、右前頭葉は腫瘍浸潤による像で前回と変わりがないが、右側頭葉手術部周辺の高吸収域及び右側脳室体部のニーボー形成の高吸収域は、アドリアマイシンの局所注入による軽い出血性の変化ではないかと判断した。
(四)(第八回CTスキャン(昭和五三年一月九日施行)の所見)
前回みられた右側脳室体部のニーボー(水平面)形成の高吸収域は消失し、手術部低吸収域中の高吸収域も消失している。このことから、やはり前回のCTスキャンのこの部位における変化は、アドリアマイシン局所注入による出血性の変化であり、それが右局所注入の中止(昭和五二年一二月二一日)により自然吸収されたものと判断された。なお、手術部周辺に残存する高吸収域は、腫瘍の一部か反応性のグリオージスのいずれかと評価される。
右前頭葉のまだらな高吸収域は、前回よりも更に強く増強されている。
また、手術部周辺の線状高吸収域が増強されている。手術部周辺の腫瘍及び右側脳室体部の腫瘍は、一応この時点でこの部位に局所注入したアドリアマイシンによって再発を免れているように思われる。
前頭葉の腫瘍は、そこまでアドリアマイシンが回っていかないとみえて、依然として浸潤性、増殖性の傾向にあり、増強効果による高吸収域の増加がより著明になってきている。
すなわち、このCTスキャンでは、手術部周辺には一応改善がみられているが、前頭葉の腫瘍は縮小せず、むしろ増強の傾向がみられる。
(五)(第九回CTスキャン(昭和五三年一月二五日施行)の所見)
(1) 右前頭葉低部には、かなり広い範囲のまだらな高吸収域が増強効果により認められる。
また、これは右前頭葉中心部で一部低吸収域となり、その周囲にまだらな高吸収域が点状に増強される。視交叉槽は右側から圧排され変形している(この圧排は、第五回CTスキャン以降全く改善されていない。)。さらに、右前頭葉表面近くでは前頭葉から側頭葉にかけてまだらな高吸収域が連続してみられる。
右側頭部手術部位は低吸収域を示すが、その周囲は増強効果によって線状の高吸収域となり、その内側に点状の高吸収域が増強されている。右側脳室前角部が右側で高吸収域を示す。右後頭葉に低吸収域がみられる。
(2) 前回CTスキャンと原則的には大差がないが、右前頭葉は、底面から中心部さらに表面全体にわたって腫瘍により浸潤され、この腫瘍が休むことなく増殖しており、また、腫瘍は右側脳室周辺及び視床部にも浸潤し後頭葉にも波及しているものと判断された。
7(脳波所見)
第二回手術後の時期において腫瘍が前頭葉から後頭葉にかけて広範囲に浸潤していることは、CTスキャン像のみならず脳波所見からも明らかに推認し得る。
すなわち、昭和五二年一二月七日及び同月二一日に脳波の検査(EEG)が行われたが、一二月七日の検査において、左大脳半球には八ないし一〇ヘルツのα波が後頭葉部に出現して正常な脳波像を示しているのに対し、右大脳半球には、右前頭葉から後頭葉にかけて全体にわたり高振幅δ波が出現し、しかも前頭葉に多発しており、右大脳半球全体特に前頭葉に強い器質的異常所見が出現している。同年一二月二一日の検査においてもほぼ同様の所見であり、前記CTスキャン像の腫瘍浸潤像と正に一致した所見にほかならない。
原告らの主張するような右側脳室体部に限局された腫瘍や手術の影響だけでは、かかる広範な脳波上の所見が出現することはあり得ない。
8(ピシバニールの投与開始と丸山ワクチン投与の中断)
被告医師らが昭和五三年二月九日からピシバニールの投与を開始し丸山ワクチンの投与を中断した経緯及び理由は、次のとおりである。
(一) 従来行ってきた治療、すなわち、アドリアマイシンの局所注入、コバルト六〇の照射及び丸山ワクチンの投与にもかかわらず、第九回(昭和五三年一月二五日施行)までのCTスキャンの所見によっても、真由美の腫瘍は消失することも縮小することもなく、前頭葉を中心に浸潤、増殖を続けており、このままでは更に症状が悪化することは必至の状態であった。
現に、その間の真由美の臨床症状に関しても、第二回手術以後ほぼ固定した症状の下で経過しているが、この間特に軽快したとみることはできず、後記10及び別紙2「真由美の臨床症状の推移に関する被告らの反論」のとおり、典型的な腫瘍型の経過をたどって徐々に症状は増悪していた。
そこで、同年一月末ころ、真由美の前頭葉の腫瘍の増殖を憂慮した被告医師らは、従前の経過、検査結果等を総合して、従来行ってきた治療方針を再検討し、次の結論に達した。
(1) 手術については、前頭葉の腫瘍の剔出はしばらく時期を待つ。
(2) 化学療法である抗癌剤アドリアマイシンの局所注入では前頭葉まで薬剤が到達していかないと見受けられるので、動脈注射が検討されたが、副作用が強いので見合わせ、引続き局所注入を従来の計画どおり行う。
(3) 放射線照射は、白血球の回復を図り、回復され次第再開する。従来の手術部位のみならず、新たに二〇〇〇ラド位を前頭葉又は全脳に照射する。
(4) 免疫療法については、患者の免疫応答能を賦活する必要があるが、従前の丸山ワクチンの継続使用にもかかわらず、昭和五二年一〇月三一日及び昭和五三年一月一〇日に実証したPPD皮膚反応検査(いわゆるツベルクリン反応検査。以下統一して「PPD皮膚反応」という。)の結果はいずれも陰性であり、右検査結果のほか、真由美の臨床経過、CTスキャン所見、脳波所見、被告医師ら自身の丸山ワクチン使用経験例、学会における丸山ワクチンに関する研究結果の報告等を総合して考慮すると、真由美の免疫応答能の賦活に関して丸山ワクチンは効果がなかったものと判断され、したがって、他の有効な薬剤(免疫賦活剤)に代える必要があると考えられる。右の各所見のほか、真由美の脳腫瘍が脳内肉腫であることから免疫応答能を高めれば効果が十分に期待できること、過去に実施してきた免疫療法の経験によるとピシバニールはPPD皮膚反応の陽性化に有効であること、学会におけるピシバニールに関する研究結果等を併せ考えると、丸山ワクチンとピシバニールとの併用の方針に変更するのが相当である。
もっとも、ピシバニールには副作用が出やすいのでこれをチェックする必要があるところ、当初から丸山ワクチンとピシバニールを併用すると副作用が倍増して出る可能性があるので、いったん丸山ワクチンの投与を中断して、ピシバニール投与が極量に達しても副作用のないことが確認されたときには丸山ワクチンをも併用する。極量に達するまでの約一箇月間丸山ワクチン投与を中止することを家族が了解したときには、早速ピシバニールに変更する。
(二) 被告医師らは、以上の検討結果を原告側両名に説明し、その同意を求めたところ、同年二月一日原告両名はこれに賛成した。
その結果、以上の治療方針に関する検討結果に基づき、同年二月七日から同年三月一三日までの間丸山ワクチンの投与は中断され、同年二月九日からピシバニールの投与が開始された。
ピシバニールの投与状況は、次のとおりである。
二月九日から同月一四日まで
毎日0.2KE
二月一五日から同月一九日まで
毎日0.5KE
二月二〇日から同月二四日まで
毎日1.0KE
二月二四日から三月二三日まで
隔日(外泊日を除く。)2.0KE
なお、この間、同年三月一三日から丸山ワクチンの併用が再開されている。右の丸山ワクチンとの併用については、ピシバニール投与について原告両名の同意を得た際、原告両名の希望があることをも考慮し、ピシバニールが維持量に達したときにはこれと併用して投与することを原告両名と約束しており、この方針は既に一月下旬にたてられていたのであり、この段階で改めて指示したものではない。
(三) 右のとおり、免疫療法に関する方針(投与する薬剤)の変更は、当時の患者の病像にかんがみ、従来の治療方針全体の総合的な再検討の一環として行われたものであり、単にPPD皮膚反応の結果が陰性であったことのみを理由とするものではなく、臨床経過、CTスキャン所見、脳波所見、被告医師ら自身の丸山ワクチン及びピシバニールの各使用経験例、学会における丸山ワクチン及びピシバニールに関する研究結果の報告等を総合考慮して決定されたものであり、長期間にわたる丸山ワクチンの投与にもかかわらず免疫応答能の賦活がみられず前頭葉へ脳腫瘍の増殖が阻止できなかったため、同部位へのコバルト六〇の照射と免疫療法の強化を試みたものである。
(四) このように、PPD皮膚反応は、本件においては免疫療法の効果判定の一資料として参照されたにとどまるのではあるが、一般には、細胞性免疫応答能の測定に信頼度の高い方法として現在臨床上広く用いられており、免疫応答能の向上・低下とPPD皮膚反応の陽性・陰性とは良好な因果関係があるとされている。悪性腫瘍患者は概して細胞性免疫応答能が低下し、PPD皮膚反応が陰性の場合が多く、また、免疫療法によっても陽転しない場合の多くは予後不良であると報告されている。
真由美は、発症前のPPD皮膚反応は陽性であったが、四箇月以上丸由ワクチンを継続投与したにもかかわらず、本件病院におけるPPD皮膚反応検査ではいずれも陰性であった。
(五) 被告医師らは、過去に悪性脳腫瘍患者らに丸山ワクチンのみを投与して治療を試みたことが数例あるが、すべて丸山ワクチンは臨床的に無効であり、かつこれらの患者のPPD皮膚反応の陽転も経験しなかった。また、手術、化学療法及び放射線照射療法を行い、これらに丸山ワクチンを併用した場合と丸山ワクチンを併用しなかった場合との間で治療成績に有意の差は認められなかった。
被告医師らは、自らのこのような経験も、本件患者に対する丸山ワクチンの薬効を判定する上で併せて考慮したのである。
(六) さらに、本件診療当時発表されていた丸山ワクチンの治療成績に関する訴外丸山らの報告論文において、訴外丸山らは、特に脳腫瘍の治療に応用された丸山ワクチンの成績に関して、「いずれにしても今回の資料を以てしては、遺憾ながら従来の治療に対する本ワクチンの上乗せ効果を客観的(推計学的)に判断するわけにはゆかなかった。」、「種々の免疫学的パラメーターから、所謂免疫学的麻痺が推測されるような場合には、免疫賦活剤に如何程の効果が期待できるかは悲観的とされる。」等と述べている。
被告医師らは、この訴外丸山らの報告を知悉しており、かかる報告の内容をも前記の判定の際に併せて考慮したのである。
9(第一〇回以降のCTスキャンの所見)
(一)(第一〇回CTスキャン(昭和五三年二月一三日施行)の所見)
増強効果により右前頭葉に再びリング状の高吸収域が認められ、その周囲に四箇所の高吸収域が認められる。
また、右前頭葉外側面にまだらな二箇所の高吸収域が認められる。これは更に上方ではまだらな連続的な高吸収域となって右前頭葉から側頭葉及び後頭葉へと広がっている。右側脳室については前角部及び体部に、第三脳室については右壁部にそれぞれ線状の高吸収域が認められる。右後頭葉には広範な低吸収域がみられる(脳腫瘍の存在が明らかに示唆される像である。)。さらに、視交叉槽が変形し、右側に高吸収域がみられる(増強効果はない。)。また、両側脳室体部が不対称となっているが、それは腫瘍が後方より浸潤し脳を圧迫してきたためと考えられる。
この時点で腫瘍は前頭葉に更に浸潤してきたものと判断せざるを得ない。
右所見からは、右大脳半球全体が既に腫瘍に犯されているものと想定される。腫瘍に関しては、消失はもとより縮小すらみられず、明らかにますます増悪しているものと認められる。
(二)(第一一回CTスキャン(昭和五三年三月九日施行)の所見)
前回みられた前頭葉のリング状高吸収域は今回は消失しているが、その他の所見は前回とほぼ同様である。
右側脳室体部には再び増強効果による高吸収域が認められる。腫瘍はやはり休むことなくゆっくりと浸潤及び増殖を続けていることがうかがわれる。
(三)(第一二回CTスキャン(昭和五三年三月二〇日施行)の所見)
右前頭葉に増強効果によるリング状高吸収域が出現しており、右側脳室体部及び頭頂部に増強効果による高吸収域がみられる。
また、脳幹部にも増強効果による半リング状の高吸収域が出現し、右側脳室前角部及び体部の高吸収域も増強している。さらに視交叉槽が右半分占拠され、第三脳室及び側脳室が拡大してきている。
その他の所見は前回と同様である。
(四)(第一三回CTスキャン(昭和五三年三月三〇日施行)の所見)
前回のCTスキャンとほぼ同様の所見であるが、後頭葉の低吸収域は更に進行し、右側脳室体部及び前角部、脳幹部及び頭頂葉にそれぞれ増強効果による高吸収域がみられる。
(五)(第一三回までのCTスキャン所見の総括)
(1) 本件腫瘍の発育を考えるについて重要なことは、このような悪性の腫瘍では、もはやいわゆる典型的な占拠性病変は作らず、正常細胞を破壊させながら、浸潤性の発育を遂げるということである。このような浸潤性の変化こそ危険なものとみる必要がある。
(2) 第二回手術後腫瘍は占拠性病変としての像を現さず、ゆっくりと浸潤性の発育を示すようになっている。このような観点からCTスキャンをみると、本件腫瘍は一日たりとも増殖を休んでいないと判断される。ただ手術部位の腫瘍は、この部位へのアドリアマイシンの局所注入により増殖が抑えられているようにみえる。しかし、右側脳室体部の腫瘍は時折像を現したり消えたりしている。そして、前頭葉の腫瘍は確実に浸潤性の増殖を続けている。
(3) 腫瘍は確実に深部や脳底槽に向かって浸潤を続けており、そのために脳内水腫が起こってきたものと考えられる。
CTスキャン像にみられる脳幹部の半リング状の増強効果による高吸収域が血管であるか腫瘍であるかは断定できないが、いずれにしてもこの部位に変化が起こっていることは確実である。
(4) 以上のとおり、本件腫瘍は休むことなく浸潤性の増殖を続け、脳幹部に到達したものというべきである。
10(真由美の臨床症状の経過)
悪性脳腫瘍の症例のほとんどは、数日又は一、二週間の多少の軽快又は増悪があったとしても、絶えずゆっくりと進行性増悪に向かっていくものである。このような臨床経過を腫瘍型というが、本件疾患もほぼかかる典型的な経過をたどったものということができる。すなわち、多少の症状の変動はあっても、月を追うごとに漸次確実に増悪してきているのであり、原告らの主張するような明確な区別をすることは不可能である。
このような経過の中で、抗癌剤の投与やコバルト六〇の照射等が行われる場合には、それらの影響が大なり小なり加味されてくる。例えば、食欲不振、無気力、頭痛、頭重感などの不安愁訴は、コバルト六〇の照射などによっても招来されやすいし、また、心配事、緊張、精神的不安定等の心因によっても簡単に生ずるものであり、これらの不安愁訴は確たる病像の指標とはなり難い。
仮に原告らの主張するように腫瘍が右側脳室体部のみに限局されていたものとすれば、診療録中の昭和五三年一月二三日欄に指摘されている精神機能の低下や三月二四日欄に記載されている言語障害、書字障害、これに続く燕下障害、さらには二月二七日欄に記載のある瞳孔左右不同及び左対光反射の遅延など、前頭葉及び脳幹部の病変を示すと思われる臨床症状がなぜ出現したのかを説明し得ない。
なお、原告らの別紙1「真由美の臨床症状の推移」における主張に対する被告らの反論の詳細は、別紙2「真由美の臨床症状の推移に関する被告らの反論」のとおりである。
11(退院後の状況)
(一) 昭和五三年三月二三日、原告義文は、被告小林に対し、ピシバニールの投与及びコバルト六〇の照射療法は中止しアドリアマイシンと丸山ワクチンの投与のみを行ってほしい、丸山ワクチンの投与を行ってもらえれば親として満足である旨申し入れた。
(二) 被告医師らは、既に脳幹部に病変が及んでいる前記のCTスキャンの所見からみて(このような脳幹部にまで達した浸潤性腫瘍は、現代の医学では、いかんとも治療することができない。)、右原告義文の申出を受け入れ、同月二四日ピシバニールの投与を中止し、コバルト六〇の再照射をも断念した。
(三) 同月三〇日、前記のように第一三回CTスキャンが施行されたが、腫瘍は確実に脳底部及び視床脳橋に浸潤し続けていることが認められた。真由美の臨床症状も悪化し、脳幹麻痺の状態にあった。
(四) 同年四月八日、第三回アドリアマイシン局所注入の計画量(5.0ミリグラム)の投与が完了し、真由美は退院した。退院に際し、丸山ワクチンが交付された。
12(再入院時の状況)
(一) 退院後同年四月二五日、外来で第一回CTスキャンが施行された。その所見によれば、右側脳室体部から前角部にかけての増強効果による高吸収域の増大が認められた。
右視床部にはまだらな低吸収域と高吸収域、脳幹部及び脳底部にはリング状の高吸収域、右前頭葉にはまだらな高吸収域、右後頭葉には低吸収域がそれぞれ認められた。
(二) 真由美は脱水状態となり、家庭での治療が困難となったので、同年五月九日本件病院脳神経外科に再入院した。昏睡状態で、皮膚は乾燥しており、直ちに二〇〇〇ミリリットルの輸液療法と丸山ワクチンの投与を継続し、十分な管理と治療を行った。
(三) 同月一一日に行った第一五回CTスキャンにおいては、右視床部、右側脳室体部、右頭頂葉及び右側頭葉、右脳底槽に増強効果による高吸収域が認められ、第三及び第四脳室が左方に圧排され、水頭症を来していることが明らかにされた。
(四) 同年五月一六日、被告医師らは原告両名の希望を入れ、訴外真木病院の訴外佐藤医師と連絡を取り、本件病院において同医師に診察をしてもらった。その結果、真由美は同医師の下で抗癌リンパ療法を受けることとなった。
(五) 同月二二日、真由美は訴外真木病院へ転院した。右転院に際しては、被告小林が真由美に付き添って高崎へ向かった。
13(脳腫瘍治療の現状と本件治療の効果)
(一) わが国における原発性脳腫瘍に対する治療の現状は、次のとおりである(各統計数値は、昭和五六年に全国の脳神経外科医多数の有志によって組織された全国統計委員会作成の統計調査第三回報告書による。調査対象は原発性脳腫瘍患者一一五八四名である。)。
(1) 治療内容については、ほとんどの患者に対して手術が行われており(一回も行わなかったのは12.1パーセント)、手術後放射線照射を受けた患者は38.9パーセント(照射の種類はコバルト六〇が最も多く五七パーセント)、手術後化学療法を受けた患者は15.9パーセント(アドリアマイシンを第一剤として投与を受けた患者は二〇例、プレオマイシン五五三例)であり、免疫療法は、行われなかった事例がほとんど(95.4パーセント)である。丸山ワクチン、ピシバニールなど、非特異的免疫療法が行われた事例は、二一一例(1.8パーセント)にすぎない。
この数値は、免疫療法は補助療法にすぎず、大半の病院ではこの療法に期待していないことを示している。
(2) 治療成績(生存率)については、原発性脳腫瘍患者の五年相対生存率は、全脳腫瘍で51.3パーセントであり、悲観的である。
右のうち、本件患者に該当する治療評価五ないし七(五はほとんど臥床状態、六は入院が必要な臥床状態、七は死期が近い状態)で、浸潤性かつ腫瘍の大きさ五センチメートル以上(本件患者の場合は入院時約七センチメートルで浸潤性に増殖していた。)の場合の五年生存率は3.6パーセントと著しく低い。
本件患者の腫瘍(血管周皮細胞腫あるいは肉腫)は、まれな腫瘍であるためか、前記報告書ではその生存率の報告はされていないが、右の腫瘍は医学上第四度(悪性)に属するから、右の第四度とされる多形性神経膠芽腫(本件患者の墨東病院での診断名である。)ないし髄芽腫と同程度の生存率であると考えられるが、同報告書によれば、神経膠芽腫(多形性)の五年生存率は7.6パーセント、髄芽腫の同生存率は二〇パーセントである。
(二) 本件患者の術後生存期間は、墨東病院での手術時から起算して約一八箇月であったから、本件病院におけるその後の二回にわたる手術、化学療法、放射線照射療法等の諸治療により、前記の術後平均生存期間に比して若干の延命効果があったものと推認される。
すなわち、本件病院における二回にわたる手術においては、腫瘍は悪性で脳の深部にも及んでいたため全剔出は不可能であったものの、可能な限り(約七〇パーセントの亜全摘)これを剔出することによって、真由美を脳ヘルニアから救い、延命効果をもたらした。
また、アドリアマイシンの局所注入療法及びコバルト六〇の照射療法により、局所の腫瘍の再発及び進行はかなりの期間抑制され、真由美の延命効果に益したと考えられる。
これに対し、真由美の体質及び腫瘍の悪性度からみて、検査結果にみられる免疫応答能の低下、悪性脳腫瘍の浸潤性増殖の経過、丸山ワクチンの従前の治療成績等を併せ考えると、アドリアマイシンの局所注入ないしコバルト六〇照射の併用期間中はもとより、単独使用期間中に関しても、本件患者に対し丸山ワクチンの効果の存在を肯認することはできない。真由美の腫瘍は、元来極めて悪性の原発性脳腫瘍で脳の深部にも及んでおり、完全な剔出が不可能なものであったため、前頭葉を中心に一度も縮小することなく、増殖を停止することなく浸潤性に増殖し(右療法は増殖を多少は遅らせたものと思われる)、遂に脳幹部に到達して死の転機を招いたものである。
14(結語)
以上のとおり、本件における免疫療法に関する方針(投与剤)の丸山ワクチンからピシバニールへの変更は、当時の患者の病像にかんがみ、従来の治療方針全体の総合的な再検討の一環として行われたものであり、患者の臨床経過、CTスキャン所見、脳波所見、PPD皮膚反応検査の結果のほか、被告医師ら自身の丸山ワクチン及びピシバニールの各使用経験例、学会における丸山ワクチン及びピシバニールに関する研究結果の報告等を総合考慮して決定されたものであり、長期間にわたる丸山ワクチンの投与にもかかわらず免疫応答能の賦活がみられず前頭葉への脳腫瘍の増殖が阻止できなかったため、同部位へのコバルト六〇の照射と免疫療法の強化を試みたものであって、合理的かつ正当な理由に基づいて行われたものである。
すなわち、真由美の体質及び腫瘍の悪性度からみて、諸検査の結果、CTスキャン所見、脳波所見、臨床所見等から診断される悪性脳腫瘍の浸潤性増殖の経過とそれに伴う免疫応答能の低下、学会及び本件病院における丸山ワクチンの従前の治験成績等を併せ考えると、アドリアマイシンの局所注入ないしコバルト六〇照射の併用期間中はもとより、単独使用期間中に関しても、本件患者に対し丸山ワクチンの効果の存在を肯認することはできない。
このように、右薬剤の変更と真由美の死亡の結果との間には因果関係がなく、そのことについての予見可能性も存し得ないばかりでなく、丸山ワクチン投与を中断しピシバニールを投与することについては原告両名の承諾を得ているのであるから、いずれにしても、前記のとおり合理的かつ正当な理由に基づく本件の投与剤の変更に関して、被告日本医科大学及び被告医師らに原告ら主張のような債務不履行ないし不法行為の責任は存しない。
四 被告らの主張に対する原告らの反論
1 CTスキャンの所見に関する原告らの反論は、次のとおりである。
(一) 第一回ないし第五回のCTスキャンの所見がおおむね被告らの主張のとおりであることは認める。
しかし、右前頭葉、右側頭葉底部等の高吸収域は直ちに腫瘍の存在を示すものではない。
(二) 第六回CTスキャンの所見については、右前頭葉底面近くのリング状の高吸収域とその周辺の点状の高吸収域、右大脳半球の前頭葉、頭頂葉及び側頭葉にかけての表面近くの低吸収域及び前頭葉外側面のまだらな高吸収域の存在は、必ずしも腫瘍の存在を示すものではなく、また、右側脳室前角右側の高吸収域は同様のものが第二回CTスキャン以降一貫して見られており、腫瘍の増大を示すものではない。
(三) 第七回CTスキャンの所見については、右前頭葉表面近くのまだらな高吸収域は特に増強効果があるということはなく、腫瘍の存在はむしろ否定すべきである。右側脳室前角、第三脳室右壁及び右側脳室体部の線状の高吸収域については、被告らは増強効果を主張するが、その数値は増強効果を断定するに足りるものではなく、また、同部の線状高吸収域は、第二回CTスキャン以降一貫して存在しており、腫瘍の存在を示すものとはいい難い。
右側脳室体部のニーボーを形成した高吸収域部位には明らかな増強効果がみられ、右高吸収域を被告ら主張のように出血によるものであるということはできない。
(四) 第八回CTスキャンの所見によると、前回みられた右側脳室体部のニーボー形成の高吸収域は消失し、手術部低吸収域中の高吸収域も消失している。丸山ワクチン投与の効果による腫瘍の縮小と考えるべきである。
右前頭葉のまだらな高吸収域は腫瘍の存在を示すものではない。
手術部周辺の線状高吸収域の増強の程度は維持もしくは減少しており、アドリアマイシン局注を中止したにもかかわらずこのような好結果が得られたということは、丸山ワクチンの効果であるといわざるを得ない。
今回のCTスキャンの写真上からは、被告らの主張とは異なり、総じて腫瘍の程度は現状維持もしくは縮小の傾向にあることがわかる。
なお、腫瘍が増大すると脳圧が亢進し、その結果、手術によっていったん切除した脳の外骨部分が外側へ押し出されるのであるが、今回の写真からは、脳圧がむしろ低下して骨が逆に陥没しつつある状況になってきており、このことからも、腫瘍の縮小傾向が十分うかがわれるのである。
(五) 第九回CTスキャンの所見については、視交叉槽が右側から圧排され変形しているのは、遅くとも第五回CTスキャン以降一貫してみられるものであり、今回初めて出現したものではない。このことは腫瘍が少なくとも悪化していないことを示すものにほかならない。
また、右側脳室角部が右側で高吸収域を示すとの点も、第二回CTスキャン以来一貫していることで、脳室の偏位が生じていないことを考慮すると、腫瘍の存在を示すものではないとみるべきである。
右側頭部手術部位の周囲の線状の高吸収域は、第八回以降むしろ縮小傾向をみせており、今回もこの傾向に変化がない。
(六) 第一〇回CTスキャンの所見では、前回みられた手術部位周辺の高吸収域は、ほとんど無視していいほど縮小しており、脳圧は更に低下している。
視交叉槽の変形と右側の高吸収域の存在は、従前からのもので腫瘍によるものではないし、脳室体部の不対称も、以前から存在するもので、断層面の「ブレ」と考えられるし、右前頭葉外側面のまだらな二箇所の高吸収域、右前頭葉のリング状の高吸収域、右前頭葉から側頭葉、後頭葉に連らなる高吸収域も、従前の写真においてもときおり見られたもので、いずれも腫瘍の存在を示すものではない。
(七) 第一一回CTスキャンの所見によると、側脳室体部に増強効果のある高吸収域が再現しており、腫瘍が再発したことを示している。そして、第一二回CTスキャンの所見に明らかな右側脳室体部の増強効果をもつ高吸収域の拡大は、腫瘍の増大を示している。
(八) 被告らは、前頭葉に対する腫瘍の浸潤を一貫して強調しているが、上述のように、CTスキャン上は、前頭葉の部分は、特段の変化はなく、脳圧の亢進も存在していない。したがって、前頭葉には腫瘍の浸潤はないと考えるのが合理的である。
本件病院における最後のCTスキャン(第一五回)の所見から明らかなように、右側脳室体部に腫瘍が存在している。
結局、手術にもかかわらず腫瘍がこの部位に残存していて、時間の経過と共に再発、増悪したものと考えられる。
第七回CTスキャンの所見に見られた高吸収域部分が昭和五三年一月九日に至って消失していること及びより低位の部位に見られる高吸収域が縮小に向かっていたこと、この傾向が二月一三日CTスキャン(第一〇回)までは継続していたこと、これらの時期が丸山ワクチンに一本化していた時期に対応すること、三月九日には、右高吸収域部分が明瞭に発現していること、それに先立って既に丸山ワクチン投与が中止されピシバニール投与に切り替えられていたこと等の事実を虚心に考察すれば、丸山ワクチン投与による治療が効果をあげていたことは明らかである。
2 脳波所見については、被告らの主張する昭和五二年一二月七日の検査結果と同月二一日のそれとを対比する限り、ほぼ定常状態であって変化がなく、進行性悪性腫瘍を前提とするかぎり進行が阻止されているともいえるのであって、被告らの主張するように右脳波所見をもって悪性腫瘍が間断なく前頭葉から後頭葉にかけて浸潤、増殖していると評価することはできない。
3 PPD皮膚反応については、次のとおりである。
(一) 真由美のPPD皮膚反応は遅くとも中学在学時において陽性であっただけでなく、本件疾患の発症後である墨東病院入院中もその状態が保たれていた。そのうえ一般にPPD皮膚反応と近似的な反応値を示すとされ、同反応検査と同様非特異的な免疫応答能の指標として重要であり同程度に活用されているPHA皮膚反応検査では、同時に行われた第一回PPD皮膚反応検査当時(昭和五二年一〇月三一日当時)、真由美は癌に罹患していない正常人の平均的な反応値をはるかに超える反応値(免疫応答能が十分にあることを示す値)を記録している。
これらの事実から、真由美は少なくとも通常人程度の免疫応答能を有していたことが明白であり、被告らの主張するような免疫学的麻痺が推測される状況になかったことが明らかである。
また、そもそも抗癌剤投与や放射線照射は、悪性腫瘍細胞とともに正常な生体細胞をも等しく破壊する結果、これらの治療が、生体が本来有すべき非特異的免疫応答能を低下させることになることは医学上の常識である。したがって、免疫応答能を高める効果を期待して丸山ワクチンを投与しても、それが化学療法、放射線照射との併用の下にされるときには、丸山ワクチン投与期間中PPD皮膚反応の検査結果が思わしくないからといってその投与の効果を否定することは医学的に正しくない。被告らの主張する二回の検査は、いずれも放射線照射及びアドリアマイシン局所注入の同時実施期間中ないしそれと同視し得る状況下において行われたものであるから、真由美のPPD皮膚反応の微弱さがあったとすれば、それは放射線照射及び化学療法の一時的な悪影響の結果であると考えるのが正当な理解である。
(二) 被告らが丸山ワクチンを白眼視するのでなく真摯な対応をするのであれば、PPD皮膚反応のみならず前記のPHA皮膚反応その他の各種の免疫応答能検査を頻繁に実施すべきであり、とりわけ前記の一般的な放射線照射及び化学的療法の悪影響を脱した後にこそ、各種の免疫応答能検査を実施し、当該免疫療法剤の効果を測定すべきである。しかるに、被告医師らは、投与剤変更直前の昭和五三年二月二日PPD皮膚反応を実施しながらその測定をしないなど、殊更に正確な免疫応答能の実施を回避している。また、ピシバニール投与の理由がPPD皮膚反応を陽性化させる目的によるとの被告らの主張が真実ならば、ピシバニール投与後にPPD皮膚反応検査を当然に実施しなければならない。しかるに、被告医師らは、同年五月一一日に至るまでPPD皮膚反応検査を実施していない。結局、真由美のPPD皮膚反応の有無及び程度を理由に丸山ワクチン投与を中止したとの被告らの主張は、全く根拠のないものであり、被告医師らは右主張に沿う行動は何もしていないのである。
第三 証拠<省略>
理由
一請求原因1(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。
二請求原因2(本件病院入院に至る経緯)について判断する。
1 請求原因2(一)(本件疾患の発生)の事実は、当事者間に争いがない。
2 同(二)(墨東病院における診療)のうち、墨東病院における精密検査の結果真由美は脳腫瘍と診断され、昭和五二年三月一日同病院において脳腫瘍の切除手術が行われたこと、同年五月三一日真由美は同病院を退院したが、同年八月二五日再び痙攣発作を起こし、再度墨東病院に入院したこと、以上の事実は当事者間に争いがなく、<証拠>によると、その余の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
3 同(三)(本件病院に赴いた経緯)の事実は、当事者間に争いがない。
三請求原因3(本件病院への入院と診療契約の締結)のうち、昭和五二年九月二二日に真由美が本件病院の脳神経外科教授である被告中沢の診察を受けたこと、その際原告らが同被告に対し真由美に対する治療として丸山ワクチンの使用を申し込んだことは、当事者間に争いがない。
なお、丸山ワクチン(略称SSM)とは、訴外丸山が開発した人間の結核菌体抽出物質で、これを悪性腫瘍患者に投与することにより、宿主の免疫力を賦活し、抗腫瘍効果を得させようとする薬剤であることは、当事者間に争いがない。
右初診時及び入院時における経緯、診断内容、診療契約の内容、治療方針等に関しては、右の当事者間に争いのない事実のほか、<証拠>を総合すると、(ただし<証拠>中、後記採用しない部分を除く。)次の事実が認められる。
1 昭和五二年九月二二日、本件病院外来で被告中沢が真由美を診察した。
このとき被告中沢は、原告らから、真由美が昭和五二年一月に頭痛及び左半身不全麻痺症状で発症し、墨東病院脳神経外科において悪性神経膠腫と診断されたこと、同年三月に同病院において手術を受け、一旦は退院したがその後痙攣発作と脳圧亢進徴候が出現したため再入院を勧められたこと等、真由美の現病歴の概要を聴取のうえ、真由美を診察した結果、軽度の意識障害、左顔面を含む知覚障害を伴う左半身不全麻痺のほか、眼底検査において第二度のうっ血乳頭を認めた。
被告中沢は、右のような所見から、真由美の病状は、右大脳半球のかなり深部の広い領域を占める悪性脳腫瘍であると診断し、入院が必要な臥床状態であって、手術により早急に頭蓋内圧の減圧を図らなければ、まもなく脳ヘルニアを起こして死亡するであろうと予測した。
2 本件当時、悪性脳腫瘍に対しては、手術によって腫瘍をできる限り剔出するが、ほとんどの場合脳の他の正常細胞を傷付ける恐れがあってその全部を剔出し得ないため、腫瘍の残存した局所に対して放射線を照射する放射線照射療法や、抗癌剤等を投与する(その方法には、静脈内注射、動脈内注射、組織内注射、局所注入等がある。)化学療法等によって腫瘍の浸潤、増殖を可及的に防止するという治療法が一般に行われていた。また、免疫療法、なかでも患者の対内における免疫応答能を高め、癌細胞の発育を阻止するために免疫賦活剤を投与する非特異的免疫療法も、実施された事例はいまだ稀少ではあったが、次第に行われるようになっていて、悪性腫瘍に対する免疫療法等としては、前記丸山ワクチンのほか、BCG(牛の結核菌体抽出物質)やピシバニール(連鎖球菌の一種にペニシリンGを作用させたもの)等のワクチンが使用されていた。
当時、被告日本医科大学付設の本件病院脳神経外科においても、悪性の腫瘍の治療法として、右の一般的な治療方法に従い、手術療法、抗癌剤の投与による化学療法、及びコバルト六〇の照射による放射線照射療法の併用を原則とし、症例によっては免疫療法を補助的な療法として更にこれに併用するという方針をとっていた。
3 そこで、被告中沢は、本件病院脳神経外科において採用している悪性脳腫瘍に対する前記の一般的な治療方針に基づき、手術によって腫瘍をできる限り剔出した上で、残存した腫瘍に対しては放射線の照射療法や抗癌剤投与等の化学療法を実施してその浸潤、増殖を可及的に防止しようと考え、真由美に付き添って来た原告両名に対し前記診断の結果及び治療方針を説明し、入院を勧めたところ、丸山ワクチンの投与を希望して本件病院を訪れた原告義文は、特に同ワクチンの使用を希望する旨申し出た。
被告中沢は、従来の自己の臨床経験から、真由美の現在の状態は早急に手術を必要とし、免疫療法は特効薬ではなく補助療法の一つにすぎないと考えていたので、前記2の治療方針に従うのであれば右の各治療と並行して補助的な療法として丸山ワクチンの投与による免疫療法を適宜実施する旨原告らに告げた。そこで、原告らは、真由美を本件病院に入院させたうえ同病院脳神経外科による治療を受けさせようと考え、その旨被告中沢に申し入れ、ここに原告両名を親権者として真由美と被告日本医科大学との間に、本件病院所属の医師らにおいて同女の脳腫瘍に対する適切な診療を行うことを内容とする診療契約が締結された。右診療に当たっては、総責任者である被告中沢の下で、被告小林が主治医を担当することとなった(なお、被告志村は、その後同年一〇月上旬以降主治医とし真由美の治療に関与するようになった。)。
真由美は右同日本件病院に入院したが、その際、被告小林からも、前記の治療方針について原告らに説明がされた。このとき、原告マサ子は、丸山ワクチンの投与方法につき、A、B二種類のワクチンのうち濃度の高いBワクチンのみを使用するようにしてほしい旨希望を述べたが、被告小林は、本件病院脳神経外科の治療方針としては従来からAとBとを交互に投与する方法を採っているし、真由美の治療にあたっては現状の医学の水準で最善と考えられる方法によって行いたい旨原告マサ子を説得してその同意を得、結局、真由美に対する丸山ワクチンの投与はA、B二種類を交互に投与する方法により行われることとなった。
以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分はにわかに採用することができず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
右認定の事実関係によると、右初診時において真由美の親権者である原告らと被告日本医科大学との間に成立した契約(以下「本件診療契約」という。)の内容は、本件病院所属の医師らにおいて、真由美の脳腫瘍に対し、当時の医療水準に則った手術、化学療法、放射線の照射等、本件病院脳神経外科の採用する一般的な治療方針に基づく適切な治療を行うとともに、これに付加して補助的な療法として丸山ワクチンの投与による免疫療法を適宜併用するという内容のものであったというべきである。
四請求原因4(本件病院入院後の事実経過)のうち、(一)(1)(脳腫瘍切除手術の施行)の事実、(一)(2)のうち、昭和五二年内の治療は主として脳腫瘍切除手術、抗癌剤投与、放射線療法が中心であったが、入院の直後から丸山ワクチンの投与も併用して行われていたこと、同年一二月二八日から昭和五三年一月四日までの間真由美は帰宅外泊の許可を受けたこと、右帰宅中も丸山ワクチンの投与は継続されていたこと及び帰院後放射線療法が再開されたこと、(一)(3)のうち、本件病院において入院全期間を通じて随時CTスキャンが行われていたこと、昭和五二年一二月二〇日、昭和五三年一月九日及び同月二五日にそれぞれCTスキャンが施行されたこと、手術で腫瘍を切除した結果腫瘍が肉眼上なくなったこと、腫瘍の増殖活動そのものが停止したことは一度もなかったこと、(一)(4)のうち、被告医師らが昭和五三年一月一三日から同月一五日まで真由美に対し外泊を許可したこと、(一)(5)のうち、丸山ワクチンの投与を中断し、同年二月九日以降ピシバニールの投与を始めこれを継続したこと、同月一三日にCTスキャンを施行したこと、(一)(6)①のうち、真由美が昭和五三年二月一五日発熱し、そのころ食欲が低下したこと、従前車椅子で病院内を散歩していたこと、(一)(6)②のうち、原告義文が被告志村及び同小林に対しピシバニール投与を中止して丸山ワクチン投与を再開するよう申し入れたこと、被告志村が昭和五三年二月二二日ころ原告義文と面接したこと、(一)(6)③のうち、昭和五三年三月九日及び同月二〇日にCTスキャンを実施したこと、同月二一日ころ被告小林において原告義文に右CTスキャンの写真を示して説明をしたこと、(一)(7)のうち、真由美の病状が好転しなかったこと、(二)(1)の事実、(二)(2)のうち、昭和五三年四月一日、被告志村が原告義文に対し、同年二月一三日及び三月九日に実施されたCTスキャンの結果を説明したこと、(二)(3)の事実、(二)(4)の事実(ただし、被告医師らが真由美の治療を全く放棄したことを除く。)は、当事者間に争いがない。
右の争いのない事実のほか、<証拠>を総合すると、真由美の本件病院への入院後の診療経過について次の事実が認められる。
1 入院後、第一回手術までの診療状況
被告医師らは、真由美に対し、前記三3の治療方針に基づき、まず腫瘍をできる限り剔出する手術を行うこととしたが、一方、手術予定日前の昭和五二年九月二六日から、免疫療法として、原告らの希望により丸山ワクチンの投与を開始した。投与方法は、前記三3のAB方式に従い、原則として隔日に注射により投与され、昭和五三年二月七日まで続けられた。
2 第一回手術
被告中沢は、原告両名の承諾の下に、昭和五二年九月二八日、真由美に対し、顕微鏡下における腫瘍剔出術を施行した。前記三1の巨大な右大脳半球の腫瘍の大部分は除去されたが、深部の手術侵襲そのものが極めて危険であるため、深部の腫瘍は残し、抗癌剤を注入するためのオンマイヤチューブを挿入して、手術を終了した。
3 第一回手術後、第二回手術までの診療状況
本件病院の脳神経外科では、一般に入院中の患者に対し、定期的にCTスキャンが施行されていたが、真由美に対しても随時CTスキャンが行われ、第一回撮影は入院当日の昭和五二年九月二二日に行われた。第一回手術後、第二回手術までの期間においては、同年一〇月一四日に第二回撮影が、同年一一月二日に第三回撮影が、同年一一月一八日に第四回撮影がそれぞれ施行された。
また、前記三3の治療方針に基づき、被告医師らは、原告両名の同意の下に、同年一〇月一七日から化学療法として抗癌剤であるアドリアマイシン(製品名アドリアシン)の局所注入を、同年一一月九日から放射線照射療法としてコバルト六〇の照射をそれぞれ開始した。
アドリアマイシンは癌細胞の核酸合成過程を阻害することにより癌細胞の分裂を阻害するものと考えられている医薬品であり、通常は静脈内注射により投与されるのであるが、被告日本医科大学脳神経外科教室においては、オンマイヤチューブを通じて手術部位の局所に直接注入する方法を考案・改良して従来から用い、腫瘍組織内の薬剤濃度が長時間一定濃度を保持する等の好結果を得ていたため、真由美に対しても右の局所注入療法が採られたのであった。第一回目の投与は同年一一月四日まで隔日、1回0.5ミリグラムずつ一〇回、合計5.0ミリグラムに達するまで投与された。
コバルト六〇照射療法は、コバルト線による腫瘍の殺細胞効果を利用した治療法で、コバルト線は中枢神経の悪性腫瘍に対しては高い治療効果を有すると考えられていることから、本件病院脳神経外科においては、抗癌剤で不十分な部分を補う意図で、常に併用する方針が採られており、照射線量は、総量で五〇〇〇ラドが基準とされている。
真由美に対しては、昭和五二年一一月九日から同月一一日まで、同月一四日から一八日まで、及び、同月二一日、二二日の各日、一回あたりの照射量を一五〇ラドとして照射が行われた。
一方、この間丸山ワクチンも前記1のとおり引き続き投与されていた。
4 第二回手術
この間にも再度腫瘍の増殖を見たため、被告医師らは、同年一一月二四日、アドリアマイシン0.5ミリグラムの臨時投与を行った上、同月二五日、被告中沢の執刀により、第二回手術を施行した。第二回手術は、顕微鏡下で時間をかけ、大血管に沿って浸潤している腫瘍を血管を傷つけずにできる限り剔除するという方法で行われ、視床部ぎりぎりのところまで脳腫瘍を剔出した。
なお、第一回及び第二回手術によって剔出された腫瘍組織は、その後本件病院及び新潟大学脳研究所神経病理学教室において組織学的検査が行われたが、その結果、最終的には肉腫の一種とされる血管周被細胞腫と判定された。
5 第二回手術後、昭和五三年二月七日の丸山ワクチンの投与中断まで
この期間においても、真由美に対しては随時CTスキャンが行われており、昭和五二年一一月二八日に第五回撮影が、同年一二月七日に第六回撮影が、同月二〇日に第七回撮影が、昭和五三年一月九日に第八回撮影が、同月二五日に第九回撮影が、それぞれ施行された。
右のほか、昭和五二年一二月七日には第一回脳波検査が、同年一二月二一日には第二回脳波検査が、それぞれ施行された。
一方、同年一二月三日から、化学療法として、アドリアマイシンの第二回局所注入療法が開始され、同月二一日まで隔日、合計3.0ミリグラムが投与された。また、同年一二月二〇日には、放射線照射療法として、コバルト六〇の照射が再開され、同日から同月二三日まで、同月二六日から同月二七日まで、昭和五三年一月四日から同月六日まで、同月九日から同月一三日まで、及び、同月一七日から同月一九日まで、それぞれ一回当たりの照射量を一五〇ラドとして照射が行われた。
丸山ワクチンも前記1のとおり引き続き投与が続けられ、昭和五二年一二月二八日から昭和五三年一月四日までの間、真由美が被告医師らの許可を受けて帰宅外泊した期間中も、丸山ワクチンの投与は継続されていた。
また、同年一月一三日から同月一五日まで、同月二〇日から同月二二日まで、同月二七日から同月二九日まで、同年二月三日から同月五日までの各期間中も、真由美は被告医師らの許可を得て帰宅外泊した。
6 丸山ワクチンの投与中断後、真由美の退院まで、
同年二月七日には、丸山ワクチンの投与は一旦中断され、同月九日から、前記三2記載の免疫療法薬の一つであるピシバニールの投与が開始された。
ピシバニールの投与状況は、二月九日から同月一四日まで毎日各0.2KE、同月一五日から同月一九日まで毎日各0.5KE、同月二〇日から同月二四日まで毎日各1.0KE、同月二五日、二六日、二七日から三月二三日まで隔日(ただし三月五日を除く)各2.0KEであった。
なお、同年三月一三日からは丸山ワクチンもピシバニールとの併用で投与が再開された。
一方、同月二一日から、化学療法として、アドリアマイシンの第三回局所注入療法が開始され、四月八日まで隔日、合計5.0ミリグラムが投与された。
三月二四日に至り、被告医師らは、原告義文の申出を受け入れる形で、ピシバニールの投与を中止し、コバルト六〇の再照射をも断念した。
同年四月八日、第三回アドリアマイシン局所注入療法の計画量(5.0ミリグラム)の投与が完了し、真由美は退院したが、退院に際しては被告医師らから丸山ワクチンが交付された。
なお、この期間中においても、真由美に対しては随時CTスキャン撮影が行われており、同年二月一三日に第一〇回撮影が、同年三月九日に第一一回撮影が、同月二〇日に第一二回撮影が、同月三〇日、第一三回CTスキャン撮影が、それぞれ施行されている。また、同年三月三日から同月五日まで、三月一〇日から同月一三日まで、同月一七日から同月一九日までの各期間中、真由美は被告医師らの許可を得て外泊している。
7 再入院と真由美の死亡
右退院後、真由美は自宅で丸山ワクチンを投与しつつ療養していたが、その間の同年四月二五日、本件病院の外来で第一四回CTスキャンが施行された。
その後、真由美の容態は著しく悪化し、家庭での療養が困難となったため、同年五月九日、本件病院脳神経外科に再入院した。入院時の真由美は脱水状態であったので、直ちに輸液が行われたが、再入院期間中も丸山ワクチンの投与は継続された。
同年五月二二日、真由美は訴外真木病院へ転院した。右転院は、原告らが真由美に抗癌リンパ球療法という治療を受けさせたいと希望して行われたものであったが、真由美の容態は改善せず、同年七月一七日訴外国立高崎病院に転院後、同月二三日午前四時三〇分ころ、真由美は死亡した。
以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分はにわかに採用することができず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
五また、<証拠>によると、真由美の脳腫瘍の病理学的特徴及び悪性度に関しては、次のとおり認められる。
前記血管周被細胞腫は頭蓋内肉腫(なお、肉腫とは、悪性腫瘍のうち、その細胞が上皮性でないものを総称する名称で、臨床的には上皮性である癌腫と全く同じである。)のうち約一〇パーセントを占め、一般に限局性ではあるが、極めて血管に富み、出血し易く、組織学的には極めて細胞に富み、血管腔も多く、腫瘍細胞は血管腔を充満している。したがって、核分裂も多くみられ、頭蓋外転移もある。
そして、右血管周被細胞腫は、我国で用いられることの多いチュルヒ(Zfile_5.jpglch)による脳腫瘍の分類別悪性度(第一度ないし第四度)の一覧表では、神経膠芽腫、髄芽腫とともに最も悪性とされる第四度に位置付けされる原発性肉腫に該当し、手術による全剔出を行っても、予後は悪く、術後平均生存期間は六箇月ないし一五箇月とされている。
また、昭和五六年に全国の脳神経外科医多数によって組織された全国統計委員会作成の統計調査第三回報告書では、血管周被細胞腫自体については報告されていないものの、右チュルヒ(Zfile_6.jpglch)の分類でやはり第四度とされている神経膠芽腫の五年生存率は7.6パーセント、髄芽腫の同生存率は二〇パーセントであったと報告されている。
六真由美の脳腫瘍の本件病院入院中の臨床経過
原告らは、請求原因4(一)(3)ないし(6)において、真由美の脳腫瘍は丸山ワクチンを単独投与されていた時期においては縮小から更に消失の方向へ向かっていたのに、ピシバニール投与開始後の時期においては一転して腫瘍が再発、増殖を開始した旨主張するので、右主張の当否及び本件病院入院中の真由美の脳腫瘍の臨床経過について判断する。
1 CTスキャンの所見について
(一) 原告らは、右主張の根拠として、本件病院で行われたCTスキャン検査の所見において、昭和五二年内の撮影による診断では、手術後切除の結果として腫瘍がより小さくなったことはあっても、腫瘍の増殖活動そのものが停止したことは一度もなかったのに対し、昭和五三年一月九日に施行された第八回CTスキャンの結果では、前回(第七回)の撮影(昭和五二年一二月二〇日施行)と比較しても腫瘍の増大は全く見られず、腫瘍は右側脳室体部に限局されており、腫瘍の増殖活動が少なくともその間停止していたことが明らかとなり、昭和五三年一月二五日の第九回CTスキャン撮影では腫瘍は前回(一月九日施行分)よりも縮小していることが判明し、更に同年二月一三日に実施された第一〇回CTスキャン撮影の結果では、真由美の腫瘍が完全に消失していた旨主張する。
そして、<証拠>中には、被告志村が原告義文に対しこのような趣旨の説明をした旨、また、右説明の際に本訴で提出されている乙号証とは別個のCTスキャン写真が存在し、右写真中には右の所見が明瞭に現れていた、それは他のCTスキャン写真より大きい、普通のレントゲン写真くらいの大きさのもので、(その影像は)頭の形状や血管の造影も写っておらず、(ぼんやりした背景に)腫瘍との説明があった白い部分だけが浮かんでいるようなものであった旨の供述記載及び供述が存する。
しかしながら、<証拠>中には右のような被告志村の説明或いはその材料となった写真の存在につき明確に否定する供述記載及び供述が存すること、前掲甲第一号証の一、二及び原告義文本人尋問の結果によってもそのような脳の断層写真を撮影できる機械の存在については何ら明らかとなっていないことに照らすと、同号証の供述記載及び右本人尋問における供述を根拠として右のようなCTスキャン写真及びこれに基づく被告志村の説明があったことを肯認することはできない。
(二) そこで、CTスキャン写真により窺われる真由美の腫瘍の状態を本訴において提出されている乙号証のCTスキャン写真に依拠して判断するに、<証拠>並びに鑑定の結果を総合すると、CTスキャンの所見の推移に関しては、次のように認められる。
(1) 昭和五二年内のCTスキャンの所見
① 第一回CTスキャン(昭和五二年九月二二日施行)の所見
右大脳半球の側頭葉を中心として、頭頂葉、前頭葉、後頭葉にまで波及している巨大な脳腫瘍が認められ、この腫瘍は底面付近が固形性でその中には壊死巣があり、上方に進むにつれて嚢胞性となり、上方部は多房性で高吸収域を伴っており、いずれも増強効果が著明に認められ、悪性腫瘍像と判断される。右側脳室及び第三脳室は圧排されてその大部分が消失している。左側脳室も左方への偏位が著明で、帯状回ヘルニアを起こしていることを推測させる。前頭葉底部で低吸収域の周囲が高吸収域となっているが、大脳全体に脳浮腫が著明なため、この部位への腫瘍の浸潤の有無についてはこの時点では判断できない。
以上の所見から、右大脳半球中心部に発生し、右大脳半球の約二分の一ないし三分の二を占める巨大な悪性脳腫瘍が存在すると診断される。
② 第二回CTスキャン(同年一〇月一四日施行)の所見
前回の巨大な右大脳半球の腫瘍の大部分は第一回手術により除去され、手術部位は低吸収域となっている。左脳室系の偏位が戻り、右側脳室及び第三脳室も出現し、偏位は著明に改善されており、前回認められた脳ヘルニアの状態は改善され、患者は当面の危険状態から脱出したものと認められる。
しかし、右側脳室体部及び三角部にはリング状の高吸収域を認め、著明な増強効果を有している。残存した腫瘍と考えられる。
一方、右前頭葉側面にまだらな高吸収域がみられ、若干の増強効果をみるが、この時点では手術の影響もあるため、必ずしも脳腫瘍の浸潤によるものかは判断できない。
③ 第三回CTスキャン(同年一一月二日施行)の所見
右視床部及び右側脳室三角部から体部にかけての高吸収域は前回より増大し、増強効果により著明に増強され、残存した悪性腫瘍の増殖と考えられる。また、右側頭葉底面にもリング状の増強効果がみられ、腫瘍が浸潤しているものと考えられる。
右前頭葉にも増強効果のある高吸収域スポットが出現し、腫瘍の浸潤を示すものと考えられる。その周辺には低吸収域が認められ、腫瘍の周辺の脳浮腫の所見であろうと推測できる。
以上のようなリンパ状の高吸収域の出現、増強効果の存在、周辺の低吸収域の存在等の所見は、いずれも腫瘍が極めて悪性で浸潤性の増大を来してきていることを強く示唆するものと考えられる。
④ 第四回CTスキャン(同年一一月一八日施行)の所見
前回に比べ第三脳室が右より左へ圧排され、右側脳室三角部から体部にかけて及び右頭頂部から後頭部にかけての悪性腫瘍の像と考えられる高吸収域は増大し、占拠性病変を形成している。右腫瘍は更に深部では右視床を圧迫浸潤する大きな病変を形成している。
右前頭葉にもまだらな高吸収域が認められ増強効果を有し、悪性腫瘍の存在を強く示唆するものと考えられる(脳浮腫によるものとは認められない。)。
腫瘍は前回より一層増大し、大脳半球中心部に占拠性病変を形成していることが認められる。
⑤ 第五回CTスキャン(同年一一月二八日施行)の所見
第二回手術により、増強効果を示していた高吸収域の部分は消失しており、第三脳室の偏位はとれ、手術による減圧効果は十分にあったものと考えられる。右側頭部の手術部位は低吸収域を示し、ここにオンマイアチューブが入っている。また手術部位には高吸収域がみられるが増強効果を示していない。(止血用に用いたゼルフォームと思われる。)
右側脳室体部に増強効果を有する高吸収域がみられ、残存腫瘍の像と考えられる。
一方、右前頭葉底面にはまだらな高吸収域が認められ、その表面近くにも増強効果を有する高吸収域が認められ、腫瘍の存在を強く示唆する。
脳底槽が右側から圧排されており、腫瘍の存在を強く示唆する。
⑥ 第六回CTスキャン(同年一二月七日施行)の所見
右前頭葉底面近くにリング状の増強効果をもつ高吸収域が出現し、その周辺にも点状の高吸収域をみる。手術部位は低吸収域を示すが、その周辺は増強効果により線状の高吸収域を示す。右側脳室前角右側に高吸収域を認める。右大脳半球は半卵円中心にかなり広い低吸収域となり、側頭葉外側面には複数の結節状及びリング状の高吸収域がみられ、これらは増強効果を有する。
右の増強効果の著明なリング状、点状、或いは結節状の高吸収域の出現は悪性腫瘍の典型像といわれるものであり、従来の経過、手術所見、剔出腫瘍の病理組織学的悪性度等を併せ総合的に判断すれば、悪性腫瘍が手術部位からさらに遠隔部の脳組織にまで浸潤増殖しつつあることは明らかであると判断される。
⑦ 第七回CTスキャン(同年一二月二〇日施行)の所見
右前頭葉表面近くにまだらな増強効果を有する高吸収域が認められ、腫瘍の浸潤による像と判断される。また、右側脳室体部にはニーボー形成様の増強効果をもつ高吸収域がみられる。これは出血であると考えられるが、腫瘍からの自然出血ともアドリアマイシン注入時の副作用としての出血とも解釈できる。
右側頭葉の手術部位は低吸収域となっており、その周囲は増強効果により線状の高吸収域を示すが、これが腫瘍によるものかは断定し難い。
(2) 第八回ないし第一〇回CTスキャンの所見
① 第八回CTスキャン(昭和五三年一月九日施行)の所見
前回みられた右側脳室体部のニーボー形成様高吸収域は出現していない(なお、右所見は既に述べたとおり出血によるものと解されるので、今回出現しなかった事実を腫瘍の縮小と考えることはできない。)。右側頭葉内板に接して半円形の高吸収域が認められる。右前頭葉底面付近にはまだらな半リング状の増強効果をもった高吸収域像が認められ、悪性腫瘍の像と考えられる(なお、増強効果の程度は前回より若干強くなっていると認められる。)。
② 第九回CTスキャン(昭和五三年一月二五日施行)の所見
脳底槽は右側で圧排され変形している。右前頭葉底部にはまだらな高吸収域が増強効果によりかなり広い範囲にわたって認められ、これは右前頭葉中心部で一部低吸収域となり、その周囲にまだらな高吸収域が点状に増強される。また右側頭部手術部位は低吸収域を示すが、その周囲は増強効果によって線状の高吸収域を呈し、その内側にも増強効果をもつ点状高吸収スポットが認められる。右前頭葉表面近く及び側頭葉にかけてまだらな高吸収域が認められる。右後頭葉では低吸収域が認められるが、これは悪性腫瘍による周辺の脳浮腫によるものではないかと考えられる。
以上いずれの所見も腫瘍が縮小傾向にあると判断する根拠となるということはできず、また、ほかにそのように判断する根拠となる所見を認めることはできない。
③ 第一〇回CTスキャン(昭和五三年二月一三日施行)の所見
右前頭葉に増強効果により著明に増強されるリング状高吸収域とその周囲に四個の高吸収域が認められる。これは第六回CTスキャン所見での像と同様に、典型的な悪性腫瘍の像であると考えられる。右前頭葉外側面には増強効果をもつまだらな高吸収域があり、その周囲に脳浮腫と考えられる低吸収域を伴い、腫瘍の浸潤増殖を示唆するものと考えられる。右後頭葉に広範な低吸収域が認められ、前回より増大傾向にあるが、これも腫瘍の浸潤を示唆するものと考えられる(その原因としては、腫瘍による脳浮腫、腫瘍の圧排ないし血管内侵入等による右後大脳動脈の閉塞等が考えられる。)。また、両側脳室体部が不対称となっているが、腫瘍が後方より浸潤し脳を圧迫してきたための変化と考えられる。なお、手術部位の高吸収域は縮小している。
以上のように、この時点では右大脳半球全体にわたり腫瘍の浸潤の影響と考えられる変化が出現してきており、腫瘍の消失はもとより縮小傾向すら認めることができず、第二回手術以後の所見を継時的に観察すれば、むしろ腫瘍が増悪傾向にあることは否定し難い。
(3) 第一一回以降のCTスキャンの所見
① 第一一回CTスキャン(昭和五三年三月九日施行)の所見
全体としては前回の所見と大差はないが、前回みられた前頭葉底面近くのリング状高吸収域は今回は認められない(これは撮影部位の高さがずれたことによるものと考えられ、第一二回で再び出現している。)。前回認められなかった右側脳室体部後方の増強効果による高吸収域が再出現している。右側頭葉外側の線状の高吸収域は術後の硬膜外水腫による硬膜と考えられる。
② 第一二回CTスキャン(昭和五三年三月二〇日施行)の所見
右前頭葉に増強効果によるリング状高吸収域が、右側脳室体部及び側頭葉に増強効果による高吸収域が認められる。右所見及び脳底槽の圧排(第五回CTスキャン所見から認められ、その後全く改善されていない。)、右後頭葉の広範な低吸収域(第九回CTスキャン所見から認められ、第一〇回CTスキャン所見以降著明となった。)等の所見は、すべて悪性脳腫瘍による変化と考えられ、この時点では腫瘍は右大脳半球全体に極めて広範に浸潤増殖を遂げているものと判断される。
③ 第一三回CTスキャン(昭和五三年三月三〇日施行)の所見
前回のCTスキャンとほぼ同様の所見であるが、右側頭葉手術部周辺に増強効果により著明に増強される線状高吸収域が出現している。また、視床部内側、脳幹部に対して新しい高吸収域がみられ、ペンタゴン(脳下垂体を中心とする五角形のクモ膜下槽)が変形している。
④ 第一四回CTスキャン(昭和五三年四月二五日施行)の所見
右側脳室体部から三角部にかけての増強効果による高吸収域の拡大、右視床部のまだらな低吸収域と高吸収域、右前頭葉のまだらな高吸収域、右後頭葉の低吸収域等が認められ、腫瘍は脳底部、視床部に浸潤し続けているものと考えられる。
なお、腫瘍による脳室の偏位は認められず、脳室はむしろ拡大していることが認められるが、これは腫瘍が第二回手術の後は占拠性病変を作らず、むしろ浸潤増殖を続けているためであると考えられる。
⑤ 第一五回CTスキャン(昭和五三年五月一一日施行)の所見
ほぼ前回所見と同様であるが、右視床部、右側脳室体部、右頭頂葉、右脳底槽等に増強効果による高吸収域が認められ、第三脳室及び第四脳室が左方に圧排され、水頭症を来している。
腫瘍は脳幹部に向かって更に浸潤増大し、脳底部、脳室及び視床部では占拠性病変ともなっている。
以上のとおり認められる。
(三) 原告らは、真由美の脳腫瘍は、本件病院入院から第一〇回CTスキャン施行当時まで一貫して右側脳室体部のみに限局しており、前頭葉を始めとするほかの部位には存在しなかったとして、手術部周辺の(線状)高吸収域につき、第八回で増強の程度が維持もしくは減少しており、第九回でもその傾向には変化がなく、第一〇回ではほとんど無視していいほどに縮小しているから、原告らの主張に沿うものである、と主張し、その根拠として、腫瘍が増大すれば脳圧は亢進するはずであるのに第八回CTスキャン所見や第一〇回CTスキャン所見ではむしろ脳圧が低下しているし、第九回CTスキャン所見の側脳室前角部の高吸収域についても脳室の偏位がないから、いずれも腫瘍ではないと見るのが素直な判断であるとする。
しかしながら、被告中沢本人尋問の結果によると、一般に悪性腫瘍は、悪性度が高いものほど或いは経過が長くなるほど、占拠性の病変をとるより、むしろ正常細胞を侵食して正常細胞に代わりながら浸潤性に増殖する形態をとるものであることが認められるところ、真由美の脳腫瘍についても、既に認定したとおり、腫瘍が広範に増殖していることが明らかとなった(この点は原告らも争わないところである。)昭和五三年四月二五日の第一四回CTスキャン所見上脳室の偏位は認められず、むしろ脳室が拡大していることが認められるのであるから、浸潤性の増殖形態をとるようになったものと認めることが相当であるというべきである。そうすると、脳圧の亢進や脳室の偏位がないことを根拠に腫瘍の存在を否定しようとする原告らの主張はにわかに採用することができない。
さらに、<証拠>によると、昭和五二年一二月七日及び同年一二月二一日に真由美に対し脳波検査(EEG)が行われたが、一二月七日の検査において、左大脳半球には八ないし一〇ヘルツのα波が後頭部優位に出現して正常な脳波像を示しているのに対し、右大脳半球には、右前頭葉から後頭葉にかけて全体にわたり高振幅δ波が出現し、しかも前頭葉に多発しており、右大脳半球全体特に前頭葉に強い器質的異常所見が出現していること、また、一二月二一日の検査においてもほぼ同様の所見であることが認められ(右認定に反する証拠はない。)、右検査結果によっても、右の各検査の時点において腫瘍が前頭葉から後頭葉にかけて広範囲に浸潤していることが、十分に推認し得るというべきである。
したがって、右脳波検査所見からも、手術部位周辺以外には腫瘍は存在しなかったという原告らの主張は採用し難いといわなければならない。
そして、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
(四) 以上の各CTスキャンの所見を総合し、かつ、CTスキャンの断面の位置は検査時ごとに定位されるため、各回ごとに多少のずれを生じ、ある位置に腫瘍が継続して存在しても断面の取り方によって写真上に現れたり現れなくなったりすることがしばしばある事実(右事実は<証拠>により認められる。)、及び前記五において判示した血管周被細胞腫の病理学的特徴や悪性度を併せ検討すると、真由美の脳腫瘍は、当初占拠性の増殖を中心として脳圧亢進症状を呈させるような発育を遂げていたが、第二回手術の後はむしろ浸潤性の増殖を主として脳の深部や脳底槽に向かって発育を遂げるようになり、遂に脳幹部に至る経過を辿ったものと認めるのが相当である。そうすると、第八回ないし第一〇回CTスキャン所見に関し、原告らが主張するような腫瘍の縮小ないし消失傾向は認められず、むしろその間も一貫して腫瘍は漸次確実に右発育の過程を進んでいたものとみるべきであり、また、その後のCTスキャンにみられる腫瘍は、従前から少しずつ増殖を続けていたものがCTスキャン所見上においても明瞭となったにすぎず、原告らの主張するように薬剤の変更に伴って突如再発したものではないというべきである。
2 臨床症状について
また、原告らは、昭和五二年一二月二八日に真由美に対する治療が丸山ワクチン投与に一本化されて以降、真由美の臨床症状は著しく改善され、別紙1「真由美の臨床症状の推移」の二ないし四1のとおり奇跡的な回復を示していたにもかかわらず、丸山ワクチン投与の中止とピシバニール投与の開始によって、別紙1「真由美の臨床症状の推移」の四2及び五のとおり昭和五三年二月一五日を境に一転して悪化の一途をたどっていったものであり、右臨床経過は原告らの腫瘍の消失及び再発の主張の正当性を裏付けるものであると主張する。
前記四でみたとおり、真由美に対する治療としては、原告らが丸山ワクチン投与に一本化されたとする昭和五二年一二月二八日以降においても昭和五三年一月四日から同月一九日までの間はコバルト六〇による放射線照射療法が施行されているのであるから、右主張のうち昭和五二年一二月二八日をもって丸山ワクチン単独投与の開始期とする点については疑問がないわけではないが、この点はしばらく措くこととして、以下、原告らが臨床症状の改善を指摘する右時期(以下「丸山ワクチン単独投与期」という。)と、それ以前の時期及びそれ以後の時期を比較し、原告らの主張の当否を検討することとする。
(一) 丸山ワクチン単独投与期の臨床症状の著しい改善の有無について
原告らが別紙1「真由美の臨床症状の推移」において指摘する真由美の状態に関する診療録及び看護記録中の記載の引用については、前掲乙第二及び第五号証中に、右指摘に符合する記載が存することは当事者間に争いがない。
ところで、真由美は、本件病院入院後、右丸山ワクチン単独投与期に至るまでにもかなり長い経過をたどっており、その間に丸山ワクチン投与以外にも種々の治療が行われていることは前記四に判示したとおりであるから、丸山ワクチン単独投与による改善の有無についての判断のため比較対照されるべき時期としては、その直前である第二回手術後丸山ワクチン単独投与以前の時期とするのが相当である。
そして、原告らは右時期の臨床症状について、左上下肢麻痺、顔面神経麻痺、食欲不振、言葉が重くなり活気がない等の所見から、良好な状態ではなかったと主張する。
しかしながら、これらの症状が丸山ワクチンの単独投与によって改善されたかをみると、右症状のうち顔面神経麻痺については、前掲乙第二号証によると、昭和五三年一月四日の神経学的検査によって存在が確認されており、さらに舌下神経麻痺の存在を指摘されている(以後の時点では特段の記載は見当たらないが、これも担当医師が特に記載の必要を認めなかったためであると解され、同年二月一日には神経学的所見に変化がないことが記載されていることからも、右症状がその後消失したものとは考え難い。)。また、左上下肢麻痺については、前掲甲第一号証の一、二及び乙第二号証によると、右期間中真由美に対しては積極的なリハビリテーションが施されていたにもかかわらず、右症状が丸山ワクチン単独投与期間中を通じて存在していたことが認められる。すなわち、これらの症状については丸山ワクチン単独投与期においても特段の改善がみられたわけではないと認められるのである。
一方、食欲ないし活気の点については、前掲乙第五号証によると、これらの点に関する記載は同一人ではない多くの看護婦らの手によってされており、しかもその有無自体について記載していない日も多いことが認められるところ、右事項の性質上観察者の主観的基準の影響も少なくないと解されることをも併せ考慮すると、これらの記載から右の点の推移について直ちに客観的な評価を得ようとすることは困難であるといわなければならない(右乙号証によると、右の各時期について、原告らの主張とはむしろ相反する記載のある日も少なからず存することが認められるのである。)。そもそも食欲ないし活気などという事項は、いずれも患者の当時の心理状態やその時々の治療内容の影響等に左右されやすく、必ずしも患者の客観的な病状を評価するに適した資料とはいえないものであり、殊に原告らの主張する真由美の脳腫瘍の縮小ないし消失という事実をこれら食欲や活気の点から推認することは困難であるというべきである。
また、原告らは一月四日の看護記録中に対光反射が正常であるとの記載のあることをとらえて丸山ワクチンの効果によるとするようであるが、右乙第五号証によると、丸山ワクチン単独投与期間の後半では、ほとんど毎日対光反射鈍麻との記載があることが認められるのであるから、右主張が採用できないことは明らかである。そのほか、後頸部痛、瞳孔不同等の従来から存する病的症状についても、右乙号証によれば丸山ワクチン単独投与期にしばしば出現している(瞳孔不同についても、看護記録の記載数のみからみると、右時期の後期に至るに従って増加している。)ことが認められるのであって、右諸事実もまた、原告ら主張に係る腫瘍の縮小ないし消失という事実とは結び付き難いものというべきである。
かえって、<証拠>によると、一月二三日には、真由美がいつも寝ぼけているようであり、時間見当識も不良である事実を原告マサ子が看護婦に訴えていること、そのころ真由美の主治医であった被告志村は、右時間見当識の不良や病室内での行動等の最近の臨床症状を総合的に評価して、理解力、判断力、行動力といった精神活動能力がやや低下しているのではないかとの疑いを持ち、被告中沢の回診の際にその旨述べている事実が認められ、この点は真由美の脳腫瘍が頭葉その他の周辺部位に浸潤していることを窺わせる症状であるというべきである。また、二月三日には担当の看護婦により、真由美が傾眠状態にあるとの観察がされており、右事実も腫瘍の浸潤によるものである可能性を窺わせるものである。
そうすると、当時の真由美の臨床的状態像は、一応の臨床的小康状態にあったとはいえようが、原告らの主張するような腫瘍の消失ないし縮小を窺わせるに足りる著しい改善があったとは認めることはできないというべきであり、むしろ右のような諸症状に、1に判示したCTスキャン所見、及び前記五に判示した真由美の脳腫瘍の性質、殊にその悪性度をも併せ考えると、近い将来の悪化の懸念は否定し難い状態にあったといわなければならない。
(二) 丸山ワクチン中断による臨床症状の著しい悪化の有無について
次に、丸山ワクチン中断の前後の時期の比較については、被告らの主張も、悪化の事実自体は否定せず、それが悪性腫瘍一般にみられる典型的な増悪の経過にすぎないというのであるから、問題は、一転して悪化の一途をたどっていったとする原告らの主張の当否にある。
そして、診療録及び看護記録(前掲乙第二、第五号証)中に、原告らが別紙1「真由美の臨床症状の推移」において指摘する真由美の状態に符合する記載が存することは当事者間に争いがない。
しかしながら、そもそも丸山ワクチン単独投与期の著しい臨床症状の改善が認め難いことは前記(一)に説示したとおりであるうえ、他方で、前掲乙号各証によると、ピシバニール投与開始後の時期においても、昭和五三年二月一五日にその副作用と見られる一時的な発熱はあったものの、一日で平熱に戻っていること、その後の経過に関する診療録及び看護記録中の記載においても、翌一六日には食欲が回復していることが、同月一七日には、真由美が両親と楽しそうに話しており、食事はいつもよりたくさん食べたことが、同月一九日には、会話中笑顔が見られることが、同月二一日には、真由美の全身状態が上向きであるとの被告中沢の判断が、同月二四日には、いつもより気分良とのことで一階まで散歩をしたことが、それぞれ記載されているなど、むしろ一時的には小康状態を保っていることを窺わせる記載が存することが認められるのである。
そうすると、真由美の臨床症状の推移については、ピシバニールの副作用と考え得る一時的な発熱を除けば、悪化について原告らの主張するような薬剤の変更による明確な時期的な区別をすることは不可能であるというべきであって、それまでとは一転して悪化の一途をたどっていったという原告らの主張を肯認することはできない。
(三) さらに、原告らは、墨東病院における手術の実施から本件病院で第一回手術が実施されるまでには僅かに五七日を数えられるにすぎなかったのに比し、第一回手術の実施から七〇日余りを経過した昭和五三年二月一〇日の時点の真由美の状態が極めて良好であったことを主張し、これらの事実も丸山ワクチンによる治療の奏功により真由美の臨床症状が治癒ないし回復の途にあったことを示すものであるとする。
しかしながら、そもそも本件病院における治療方針と実際に行われた治療は前記四に判示したとおりであり、原告らの主張する七〇日間のうちほとんどの期間は二度にわたる手術のほか、化学療法、放射線照射療法が丸山ワクチン投与と並行して施行されてきていたのであるから、仮に右のような比較が妥当なものであるとしても、それを丸山ワクチンのみの効果に直結させることは妥当でないというべきであり、また、真由美の脳腫瘍は、経過が進むにつれて占拠性の発育から浸潤性の発育をとるようになっていたことは前記1において判示したとおりであって、腫瘍の右のような性質の変化を前提とすると、かかる単純な日数による比較を直ちに治療効果の判断資料とすることは妥当でないというべきである。
したがって、原告らの右主張は採用することができない。
(四) 以上のとおり、真由美の臨床過程については、原告ら主張のように丸山ワクチン投与期間中特段際立った症状の改善を認めることはできず、また、ピシバニール投与開始後の急激な症状の悪化の事実も認めることはできない。かえって、以上に認定した事実に前記五及び六1において判示した諸事情を総合して勘案すると、真由美の臨床経過は、被告らが悪性腫瘍患者一般の臨床経過と同様であるとして指摘するところの数日又は一、二週間の多少の軽快又は増悪があったとしても、絶えずゆっくりと(進行性)増悪の状態に向かっていくいわゆる腫瘍型の経過をたどったものというべきである。
七以上の事実関係を前提として、請求原因5(被告らの責任)について判断する。
1 請求原因5(一)(1)及び同(二)(1)について判断する。
原告らは、昭和五三年二月九日以降被告医師らが丸山ワクチン投与を中止して投与剤をピシバニールに変更した措置及び原告らの申出にもかかわらず丸山ワクチン投与の再開を遅らせた措置は、真由美の死期を積極的に早める効果をもたらしたものであるから、診療契約上の債務不履行ないし不法行為を構成する旨主張する。
ところで、本件診療契約の内容は、前記三で判示したとおりであるから、被告日本医科大学付設の本件病院に所属する医師らにおいて、本件当時における医療水準に照らし医師としての専門的知識・経験を駆使し、患者の病的症状を医学的に解明し、その症状及び以後の変化に応じた適切かつ十分な診療行為をすべき注意義務を負担すると解されるところ、原告らは、被告医師らの右各措置を実施するにあたっての不手際ではなく、それらを決定した被告医師らの判断の過誤自体が診療契約上の債務不履行ないし不法行為上の故意過失に当たると主張していると解される。
一般に、ある疾患の治療に際し、医師が考え得る複数の治療法の中から特定の治療法を選択した場合に、右選択に当たっての判断自体について医師ないし病院側の債務不履行又は不法行為上の故意過失の有無を検討するについては、当該判断が診療当時の学術上の見解や臨床上の知見に照らし治療法として一般に受容されていたところに従って行われたものであるか否かという観点から考察すべきであると解される。そして、本件のように既に特定の治療を行っている場合の治療法の変更措置に関する判断についても、基本的には右基準が妥当し、ただその際、既に行われた治療により当該患者に現れた治療効果や治療開始後に得られた検査所見その他の、治療開始時には現れておらずその後に判明した当該患者に個別的な諸事情が、考慮すべき重要な要素となることがあるにすぎないと解するのが相当である。
そこで、かかる観点から原告らの主張する被告医師らの各措置について検討することとする。
(一) 被告医師らが、真由美に対し、昭和五三年二月九日以降、丸山ワクチン投与を中止して投与剤をピシバニールに変更したことは前記四6において判示したとおりであるところ、<証拠>によると、被告医師らが右投与剤の変更を行ったのは、当時の真由美の病像に鑑み、臨床経過、CTスキャン所見、脳波所見、PPD皮膚反応検査の結果のほか、被告医師ら自身の丸山ワクチン及びピシバニールの各使用経験例、学会における丸山ワクチン及びピシバニールに関する研究結果の報告等を総合考慮したうえ、従来の治療方針全体の総合的な再検討の一環として免疫賦活剤の変更を試みたものであると認めることができ、<証拠>中右認定に反する部分は採用することができず、ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
そこで、被告医師らの右根拠の妥当性につき検討するに、
(1) まず、真由美の脳腫瘍の臨床経過及びCTスキャン所見に関しては、右投与剤の変更を被告医師らが検討していた当時のCTスキャン撮影写真上、真由美の脳腫瘍は手術部位から離れた前頭葉、側頭葉、後頭葉等広範な領域に腫瘍の浸潤と考えられる像を呈し、縮小ないし消失の傾向はうかがえず、かえって浸潤増殖を続けていることを示唆する所見が得られていたこと、臨床症状の面からも、手術部位以外への腫瘍の浸潤ないし増殖の存在を疑わせるような症状が観察されていたことは、さきに前記六において判示したとおりである。そして、被告中沢本人尋問の結果によると、本件病院のような大学病院の脳外科専門医からみて、前記五で認定した血管周被細胞腫の悪性度を前提とした場合、原発部位と考えられる手術部位から離れた前頭葉その他の部位にまで浸潤性の腫瘍の像が認められ、それが治療を続けていても好転せず、むしろ諸検査上ないし臨床症状上増殖傾向にあることが示唆されるようなときには、当該患者は、従前の治療をそのまま続行すれば、早晩左大脳半球や脳幹部等にまで腫瘍が浸潤して回復不可能な状態に陥る危険があると予想できる事態にあることが認められる。そうすると、前記のような症状のあった真由美につき、この段階で従来の治療計画を再検討し、新たに何らかの積極的な治療を施す必要があるとした被告医師らの判断は、合理的なものとしてこれを是認することができる。
(2) さらに、本件当時の被告医師ら自身の丸山ワクチン及びピシバニールの各使用経験例、学会における丸山ワクチン及びピシバニールに関する研究結果の報告、癌の免疫療法におけるPPD皮膚反応検査の意義等に関しては、<証拠>を総合すると、次のように認めることができる。
① 癌治療における免疫療法及び免疫学的パラメーターの意義
前記三2において判示した悪性腫瘍に対する免疫療法剤については、本件当時、いずれも非特異的な宿主免疫能の賦活療法にすぎず、癌細胞自体が正常細胞が偏位して出来たもので抗原性が低いことから、生体の反応には限界があり、癌治療の主役とはなり得ないという本質的限界を有しており、免疫療法のみで進行癌を治療しても根治させることはできないとする考え方が一般に受け入れられていた。
そして、非特異的な宿主免疫能の賦活療法剤であるという性質上、免疫療法施行前後の患者の免疫応答能がいかなる状態にあるかの把握が極めて重要であるとされていた。この生体免疫応答能力を反映する指標となるものを免疫学的パラメーターと呼んでいるが、本件当時利用されていた免疫学的パラメーターには、PPD皮膚反応のほか、植物性凝集素であるPHAを使ったPHA皮膚反応等があった。
PPD皮膚反応及びPHA皮膚反応はいずれも遅延型皮内反応の一つで、その反応原理は感作リンパ球が抗原と結合してマクロファージ阻害因子を放出し、続いてマクロファージが集合し小血管が拡張することにあると考えられている。
② 丸山ワクチンについて
丸山ワクチンの悪性腫瘍に対する臨床治験成績については、昭和四一年、訴外丸山により日本皮膚科学会雑誌上において初めてその臨床効果が発表されて以来、訴外丸山及びその共同研究者らによって臨床治験成績が学会及び学会誌に発表され、昭和五二年五月には日本医事新報誌において胃癌、腸癌、肺癌等の患者に対して丸山ワクチンを使用した場合の生存期間につき、臨床体験上実感として有している延命効果に対する同ワクチンの効果を裏付ける結果が得られたように思われるとする報告がされていたが、右報告においても、当初から事後の統計処理を意図して治験が行われたものではないため、延命効果について考察する統計資料として不備がある点は認めざるを得ないとされていた。
また、本件の直前には、訴外武上俊明らにより、人の末梢血リンパ球に生体外で丸山ワクチン、ピシバニール等を投与し、そのPHA反応に及ぼす影響を比較した結果、末期胃癌、悪性リンパ腫、皮膚筋炎の患者の末梢血リンパ球では、丸山ワクチンはピシバニールよりも強いPHA反応賦活作用が見られたとの学会報告がされていた。
しかし、当初は丸山ワクチンの化学的な性状が必ずしも解明されておらず、免疫学的な作用機序も説明できなかったことや、臨床治験成績の報告も統計学的な厳密さに欠けるところがあったこと、丸山ワクチンが一般の医師の手に入りにくかったこと等から、医学界における丸山ワクチンの評価は必ずしも好意的なものではなく、本件当時丸山ワクチンの投与を癌患者に対する通常の治療法として施行していた病院は少なかった。
一方、本件病院においては、被告中沢が被告日本医科大学脳神経外科の主任教授となった当初から、悪性脳腫瘍患者に対してしばしば非特異的免疫剤として丸山ワクチンを投与していたが、被告医師ら自身の本件当時の丸山ワクチンの使用経験によると、丸山ワクチンを単独で使用した症例一例については投与の効果は全く認められなかったし、手術、化学療法、放射線照射療法と丸山ワクチンを併用した症例と併用しなかった症例とを全体として比較した場合には治療成績に有意の差は認められなかった。また、アドリアマイシンと類似の抗癌剤であるプレオマイシン局注療法に放射線療法、丸山ワクチンを併用した経験では、臨床的改善の時期に一致してPPD反応強陽性所見を示し、症状の悪化とともに陰性化を示す例が多かった。しかし、丸山ワクチンの使用例においてPPD反応を陽性化するという明確な結果を得ることはできなかった。
また、原発性脳腫瘍の治療においては、訴外丸山及びその共同研究者らの研究臨床治験結果や他大学における研究の結果でも、丸山ワクチンの従来の治療に対する上乗せ効果については統計学的に肯定するには至らず、殊に免疫学的麻痺が推測されるような症例やPPD反応が陰性化している症例では、化学療法との併用においても丸山ワクチン使用による改善傾向は認め難いとされていた。
(なお、<証拠>中には、丸山ワクチンは癌患者に対し単独に投与してこそ著効を有し、化学療法や放射線照射療法と併用して使用したのでは無効であることが本件当時の医学常識であったかのような部分が存するが、前掲各証拠に照らし右各部分は採用することができない。)
③ ピシバニールについて
一方、ピシバニールの効果に関しては、被告医師らの当時の臨床経験によると、ピシバニールを使用した症例では、PPD反応の陽性化がしばしばみられ、一箇月足らずで陽性化した症例もあり、多くの症例で延命効果を現したという臨床的実感を得ていた。また、他大学における使用経験に関しても、本件当時において、ピシバニールの投与によりPPD反応か有意に増強し、非特異的細胞性免疫能を高める方向で働いていることを示唆したとする論文が少なからず発表されていた。
以上のとおり認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(3) そして、当時の真由美の免疫状態に関しては、<証拠>によると、真由美に対して昭和五二年一〇月一四日及び昭和五三年一月一〇日にPPD皮膚反応検査が施行され、四八時間値で陰性と判定された事実を認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
これに対し、原告らは、①真由美のPPD皮膚反応は学校時代及び墨東病院入院時の検査において陽性であったこと、②PHA皮膚反応検査その他の免疫応答能検査の結果は正常域であったこと、③昭和五三年一月一〇日のPPD皮膚反応の結果では二四時間値で正常域であり、四八時間後に反応が消失しているのは促進反応が起こったためである可能性があること、④コバルト六〇の照射やアドリアマイシンの投与を行った場合には患者のPPD皮膚反応を陰性化する傾向があること等から、真由美の免疫応答能は正常域にあった可能性があると主張し、<証拠>によると、右①、②、④の事実及び③のうち、昭和五三年一月一〇日のPPD皮膚反応の結果では二四時間値で正常域であったこと、PPD皮膚反応について一般に、以前に同じ箇所でPPD皮膚反応を行っていた場合に反応が通常の場合よりも早く現れかつ消失する促進現象と呼ばれる現象が起こり得ること等の事実が認められる。
しかしながら、他方、次のような事実も認められる。
すなわち、右①に関しては、<証拠>によると、一般に悪性脳腫瘍患者にあっては病期が進むに従い免疫応答能力が低下し、PPD皮膚反応の結果も陰性化する傾向があることが認められる。
右②に関しては、<証拠>によると、PHA皮膚反応は、多くの悪性脳腫瘍患者において径二〇ミリメートル以上として出現し、PPD皮膚反応の結果との相関性もさして高いとはいえず、また、繰り返しPHA皮膚反応検査を行った場合、感作され強く反応が出る可能性がある等、免疫学的パラメーターとしては問題があると考える研究者が多く、現在の免疫学的パラメーターのうちではPPD皮膚反応が最もよく用いられていることが認められる。
右③に関しては、<証拠>によると、一般にPPD皮膚反応は、四八時間後の測定が妥当なものとされて広く用いられていること、促進反応については、実際にかかる現象が起こることはほとんどなく、結核アレルギーを持つ個体に短時間内に厳密に同一場所に反復接種されたような場合に考慮すれば十分で、隔週ないし更に長い間隔で実施されたような時はたとえ同一箇所に接種がされても判定誤差はほとんど危惧するに当たらないと考えられていること、被告日本医科大学脳神経外科で当時免疫学的検査を担当していた訴外松浦浩が、右検査の結果につき二四時間後に観察した際には、右が発赤腫瘍かアルサス反応といわれる皮下出血によるものか判断がつきかねたので、四八時間後に再度観察したところ、当該部位の色が変わっていたので皮下出血と判断したことが認められる。
右④に関しては、そもそも前記四で判示したとおり、昭和五二年一〇月一四日の時点では丸山ワクチン投与が開始されている一方、コバルト六〇の照射療法及びアドリアマイシンの局所注入療法は開始されていないこと、前記三2において判示したとおり、一般に悪性脳腫瘍に対する免疫療法はこれらの療法と併用されて施行されるものであること、一方、<証拠>によると、このような場合にPPD皮膚反応の結果で免疫療法の効果を判定することは一般的に行われていることであり、しかも、本件において用いられたアドリアマイシンの局所注入療法は、薬剤が血中には出てこないので、通常の静脈内投与に比べて免疫応答能を低下させる影響が少ないことが認められる。
以上に認定した事実関係に、本件において被告医師らが投与剤の変更を計画した当時において、丸山ワクチンは前記四に判示したとおり、本件病院入院後に限っても既に四箇月以上にわたって投与されていたこと、アドリアマイシンの局所注入療法とコバルト六〇の照射療法についてはこれ以上多くの注入ないし照射を行い難い状況にあったこと(右事実は被告中沢本人尋問の結果により認められる。)、さらに悪性脳腫瘍に対してほかに特段の効果的な治療法が当時の医療水準においては発見されていなかったこと(右事実は弁論の全趣旨により認められる。)を併せ検討すると、右時点において被告医師らが免疫療法剤を変更すべきとした判断は、当時の真由美の病像に対する治療法として、診療当時の学術上の見解や臨床上の知見として一般に受容されていたところに従って行われたものであるというべきである。したがって、被告らに診療契約上の債務不履行又は不法行為法上の故意過失があったと認めることはできない。
(二) また、原告らは、被告医師らが昭和五三年三月一三日に丸山ワクチン投与を再開した措置及び同月二三日にピシバニール投与を中止した措置について、いずれも時期が遅きに失した、すなわち現実の各実施時期より以前に右各措置の実施を決定すべきであったと主張するもののようであるが、右(一)で認定した諸事情に、その後の真由美の臨床経過及び諸検査所見、殊に、前記六1(二)(2)③において判示したとおり、丸山ワクチンの単独投与が終了した直後である昭和五三年二月一三日のCTスキャンにおいて右前頭葉の悪性腫瘍が周囲組織に浸潤性に広範に発育してきていることが認められること、前記六2(二)において判示したとおり、真由美の臨床症状は、ピシバニール投与開始後の二月一五日には発熱が見られたものの、一日で平熱に戻っており、その後しばらくの間はむしろ臨床上の小康状態を保っていると推測される観察結果が得られていたことを併せ検討すると、右各時期の決定については当時における医師の判断として格別不合理な点を認めることはできない。したがって、前記の基準にてらし、右各時期までに丸山ワクチン投与の再開及びピシバニール投与の中止を実施しなかったことをもって被告らに診療契約上の債務不履行又は不法行為上の故意過失があったということはできない。
(三) 右のとおりであるから、請求原因5(一)(1)及び(二)(1)の主張は理由がない。
2 請求原因5(二)(2)について判断する。
原告らは、請求原因5(二)(2)において、患者(又はその親権者)には自己の置かれた状況を理解するための知る権利及び治療に関する自己決定権があり、これら権利の侵害を理由に被告らに不法行為責任がある旨主張する。
(一) そこで、まず、知る権利との関係でみるに、本件診療において被告医師らが免疫療法の投与剤を丸山ワクチンからピシバニールへと変更すべきであると判断した理由は、前記七1判示のとおり、被告医師らは、当時の真由美の病像にかんがみ、臨床経過、CTスキャン所見、脳波所見、PPD皮膚反応検査の結果のほか、被告医師ら自身の丸山ワクチン及びピシバニールの各使用経験例、学会における丸山ワクチン及びピシバニールに関する研究結果の報告等を総合考慮したうえ、従来の治療方針全体の総合的な再検討の一環として免疫療法としての免疫賦活剤を変更しようというものであった。そして、<証拠>によると、被告小林は、原告らに対し、右変更の承諾を得るに当たって、免疫療法は癌に対する特効薬ではなく、あくまでも補助療法の一つにすぎないこと、丸山ワクチンが真由美のPPD皮膚反応を陽転化しておらず、同ワクチンは真由美に対しては十分な効果を現していないと考えられること、一方、ピシバニールには一時的な発熱等の副作用があるけれども、従来の使用経験によると、PPD皮膚反応をしばしば陽転化しているし、従前の使用経験においても、ピシバニールの効果の方が優れていたとの印象を得ていること等を説明し、かつピシバニールに関する臨床治験の論文を交付していることが認められ(これに反する証拠はない。)、右のような説明内容については、既に判示した客観的事実に反する情報は含まれていないことが明らかである。
これに対し、原告らは、PPD皮膚反応検査の結果が化学療法や放射線照射療法の影響等により真実は陽性である可能性があるのにそう告げなかったこと、PHA皮膚反応検査等の他の免疫能検査の結果を告げなかったことをもって、原告らの知る権利を侵害したというのであるが、前記1(一)(2)及び(3)において判示した各種免疫反応検査の性質その他の事実関係に照らすと、被告医師らに、これらの事情の細部についてまで逐一説明する義務があったと認めることはできない。
また、本件に現れた全証拠によっても、ほかに説明すべき事項で告知されなかった事項が存したことを認めるに足りるような事情をうかがうことはできない。
したがって、本件において被告医師らがした説明は、右事実関係のもとにおいては十分なものと評価することができ、被告医師らに原告らの知る権利の侵害があったということはできない。
(二) 次に、患者の自己決定権との関係でみるに、医師による説得は、本来専門技術的立場から患者の生命身体の保全を十全ならしめるために行われるものであるから、医師がその専門的立場から正当と信ずる治療法を患者に受け入れるよう説得することは、むしろ専門家としての責務であって、それが強迫にわたる等の特殊な事情の存しない限り、何ら患者の自己決定権を侵害する違法なものとはなり得ないというべきである。
(1) 原告らは、被告医師らの丸山ワクチン投与の中断とピシバニールの投与をめぐる一連の行動が医師として尽くすべき説得の範囲を超えた強要行為であったと主張する。
そこで、本件における真由美に対する丸山ワクチン投与の中断とピシバニール投与開始の経緯をみるに、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
被告志村及び被告小林は、昭和五三年一月二五日ころから、原告らに対し、数度にわたり右(一)判示のような根拠を説明したうえで真由美に対する丸山ワクチン投与の中断とピシバニール投与の開始についての同意を求めたが、原告らはその都度承諾を拒絶した。二月八日に至り、被告小林が再度原告義文を説得したところ、原告義文は、既に何度も変更を拒絶しているにもかかわらずなお投与剤の変更を求めてくる被告医師らの態度に怒りを覚え、「それほどピシバニールに自信をお持ちなら、よくなる自信があるなら使いなさい。真由美には何の薬も効かないといいながら、治すというなら使いなさい。その代わり、もし真由美を殺したら絶対承知しない。」と強い口調で言った。すると被告小林は、「分かりました。そこまでいうなら丸山ワクチンを使いましょう。」と告げたが、更に続けて「お父さんのような人は見たことがない。(自分は)とても(治療に)責任が持てない。私は主治医を辞退する。」と言った。そこで原告義文は、これ以上ピシバニール使用を拒絶すると本件病院を退院させられるかもしれないと考え、被告医師らの治療方針に同意することとし、その旨を伝えた。
その後、右のやりとりを原告義文から聞いた原告マサ子は、退院して家で丸山ワクチンのみを使用してもいいではないか、と原告義文に提案したが、原告義文は、丸山ワクチンを使用しても死亡した患者もいるし、真由美の場合、腫瘍自体は存在しているので、丸山ワクチンのみで安心して自宅療養するまでのことは無理だと原告マサ子を説得した。
以上の事実が認められる。<証拠>中には、昭和五三年二月一日被告小林が真由美の家族に対し、免疫賦活剤としての丸山ワクチンが患者に対しては効果がない、丸山ワクチンの代りにピシバニールを使用する旨説明したところ、家族はピシバニール使用に賛成したとの記載が存することが認められ、被告小林本人尋問の結果中にはこれに符合する部分が存するが、前掲各証拠に照らし、原告らが右同日の時点で無条件にピシバニールの使用に賛成したとは考え難く、右乙号証の記載部分及び被告小林の供述部分はにわかに採用することができない。ほかに右認定を覆すに足りる証拠はない。
右にみたところによると、被告医師らの一連の説得行為のうち、二月八日における被告小林の言動には、いささか穏当を欠くところがなかったわけではないけれども、右言動は多分に同日までの原告らの対応と当日の原告義文の強硬な態度や投げやりな言辞とに誘発されたものとみることができる。そして、これら事実関係のほか、当時の真由美の臨床状態、被告医師らが従前の治療方針の変更を計画した根拠、本件診療契約上の免疫療法の位置付け、患者本人ではなく代諾権者にすぎないという原告らの立場、その他本件に現れた一切の事情にかんがみると、被告医師らが原告らの承諾を得るためにした一連の行為は、医師として尽くすべき説得の範囲を超えた強要行為であったとまでいうことはできない。
原告らは、また、訴外丸山が被告医師らに対し丸山ワクチン投与の継続を希望したにもかかわらず被告医師らは従わなかったとして、これを非難するのであるが、医師が治療に当たっている特定の患者の治療法につき第三者から希望を述べられたからといって、右希望に従わねばならない法的義務があるはずはなく、それが専門の医師からの希望であっても、治療法を選択するについての助言ないし参考意見として参酌するのが望ましいことはともかくとして、これに従うべき法的義務がないことは同様であるから、右主張は採用することができない。
(2) 次に、原告らは、アドリアマイシンの再実施についても、被告医師らは原告らの同意を得ずに行ったものであると主張するもののようであるが、本件診療契約の内容に化学療法の実施が含まれていたことは前記三3判示のとおりであるから、特段の事情の変化がない限り、アドリアマイシンの再実施につき改めて原告らの承諾を得る必要はないと解されるところ、本件に現れた全証拠を検討しても、右の特段の事情の変化があった事実を認めることができない。なお、原告義文本人尋問の結果中には、昭和五三年三月二一日に原告義文が被告小林に対し、丸山ワクチンの再使用を申し入れたが、右は当然丸山ワクチンのみを使用するという意味であった、丸山ワクチンが単独使用できなければ効果を発揮しないことは被告医師らも十分に理解していた、との供述部分が存在するけれども、右供述によっても、原告義文が明示的に被告医師らに対しアドリアマイシン使用を拒絶したと認めることはできないし、丸山ワクチンが単独使用でなければ効果を発揮しないとの知見が一般に存在したことが認められないこと、及び被告医師らの経験でも丸山ワクチンの単独使用では良好な結果を得られていなかったことは前記七1(一)(2)②で判示したとおりであるから、右本人尋問の結果は採用することができない。
(三) 右のとおりであるから、請求原因5(二)(2)の主張は理由がない。
3 請求原因5(二)(3)について判断する。
原告らは、原告ら及び真由美は、真由美の治療に当たり医学的見地から誤りでない限り丸山ワクチンによる療法を最大限誠実に適用することを期待する権利があり、被告医師らには右期待権を侵害しないように治療する注意義務があったから、丸山ワクチン投与による治療効果が奏功しつつあったと認められる場合にはもちろん、仮に丸山ワクチンの治療効果が認められず、又は真由美の病状に悪化の徴候が認められたとしても、投与薬の変更にはそれを必須とする医学上の十分な根拠がなければならなかったものであるとし、被告医師らのピシバニールへの投与剤変更は、原告らの右期待権を侵害したものであると主張する。
しかしながら、右主張自体、そこで期待権なる権利として主張されている内容は、診療契約上原告らに認められる契約上の権利の一内容にすぎないのではないかの疑問があるばかりか、仮にそうではないとしても、そこで前提として主張されている事実関係のうち、真由美は自己の病気が外科療法、化学療法、放射線照射療法では治癒させることができないことを自覚し、丸山ワクチンによる治療を期待して本件病院へ転院したとの部分については、これに沿う証拠は全くない(むしろ、前掲甲第一号証の一、二等から真由美の当時の意思を合理的に解釈するとすれば、被告医師らが最善と信ずる当時の医療水準に則った治療を行うことを期待していたのではないかと考えられる。)。また、原告らの主張する、被告医師らの右期待を認識したうえでの承諾とは、その内容自体明確とはいい難いばかりか、本件診療契約については、前記三で判示したとおり、被告日本医科大学付設の本件病院に所属する医師らにおいて、真由美の脳腫瘍に対し、当時の医療水準に則った手術、化学療法、放射線の照射等、本件病院脳神経外科の採用する一般的な治療方針に基づく適切な治療を行うとともに、補助的な療法として丸山ワクチンの投与による免疫療法を適宜併用することを試みるという内容のものであったと解されるのであるから、右契約内容に照らしても、原告らの主張する前提となる事実関係自体にわかに認め難いといわなければならない。
そもそも、真由美の親権者にすぎない原告らが、医師の医療水準に沿った合理的な判断に反しても、或いは患者本人に病状悪化の徴候が認められたとしても、投与薬の変更につき「それを必須とする医学上の十分な根拠」(右主張自体、意味内容は極めて不明確であるが)なるものが認められない限り、自己の期待する治療法を医師に要求できる法的権利を有するとすることは、むしろ患者本人の生命身体の保全という利益を著しく危殆に瀕させるものというべきであって、到底首肯することができない。
右のとおりであるから、請求原因5(二)(3)の主張は理由がない。
4 右にみたように、請求原因5(二)の主張はいずれも理由がないから、これを前提とする請求原因5(一)(2)の主張は理由がない。
5 以上のとおりであるから、被告日本医科大学の債務不履行及び不法行為責任並びに被告医師らの不法行為責任を主張する原告らの請求原因5の主張は、いずれも理由がない。
八結論
以上の次第で、原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官新村正人 裁判官佐々木茂美 裁判官上田哲)
別紙計算式<省略>
別紙1 真由美の臨床症状の推移
一 丸山ワクチン一本化投与(昭和五二年一二月二八日)以前の真由美の症状の推移
第一回手術(昭和五二年九月二八日)後の真由美の症状は、一〇月二〇日ころまでは良好な状態を維持しているように見えるものの、一〇月一〇日から断続的にではあるが、頸部痛が訴えられ、左上下肢の麻痺もしばしば出現するようになっていた。
そして、一〇月二〇日ころを境に真由美の症状は悪化の一途をたどり、看護日誌からは頸痛、対光反応鈍麻、左片麻痺などが読み取れるようになり、さらに一一月八日(診療録によれば一一月九日)のコバルト六〇の照射を境に疲労感、食欲不振が訴えられるようになり、時折嘔気、嘔吐もあるようになった。また、診療録にも、一一月一三日に嘔吐、食欲低下、一一月一六日には眼底にうっ血乳頭、左知覚障害、左片麻痺の記載があり、一一月一九日には、再手術と放射線照射一回照射量の増加が検討され、一一月二五日の第二回手術実施に至るのである。
診療録によれば、第二回手術直後の真由美の症状は、左上下肢の麻痺が取れず、被告中沢も、「顔面神経もやられていますね。」という意見を述べているとおり、良好であるとはいえなかった(一一月二六日)。もっとも一二月一日の記載には全身状態、食欲共良好とあり、眼底のうっ血乳頭も手術前よりは軽快していたが、顔面神経麻痺などが発現していて、前回の手術直後に比べて、好ましい状態ではないと認められる。また、看護記録によると、術後にもかかわらず、左上下肢の麻痺の記載はあちこちに見られるほか、活気のなさ、食欲不振がしばしば現れ、言葉も重くなり、真由美は明らかに活力のない状態に陥っていたと認められる。
二 丸山ワクチン一本化投与開始(昭和五二年一二月二八日)以降昭和五三年一月二五日(第九回CTスキャン撮影の日)までの症状の推移
真由美は昭和五二年一二月二八日からの帰宅中も丸山ワクチンの投与を受けていたが、帰院後数日して、真由美の治療は丸山ワクチンに一本化されるに至った。帰院した後の真由美の症状は、診療録によれは左知覚障害などはあったが、意識は清明であり、眼底のうっ血乳頭も消失していた。また、看護日誌によると、外泊から帰院した真由美は、頭痛、嘔気、倦怠感もなく、食欲も良好であり、対光反射も正常であって一般的に良好な状態であった(一月四日〜六日)、その後真由美は、一月一〇日、一一日には両親と共に院内散歩ができる状態となり、一月一三日から同月一六日にかけて外泊を許可される状態にまで回復した。真由美は、苦痛を訴えず、活気があり、車いすで散歩したりして良好な状態を維持し、一月二〇日から同月二二日にかけて、再度外泊を許可されるに至った。
こうして、真由美の丸山ワクチン一本化以降の症状は、第二回手術後の前述の活気のなさに象徴される状態から一転して回復に向ったのである。
三 昭和五三年二月一日からピシバニールによる治療を開始した同年二月九日までの臨床症状
この間の真由美の臨床症状については、診療録には何らの記載もないから、少なくとも病状悪化がなかったと解することが合理的であり、また看護日誌によれば一見して好転、回復の途中にあったことが明白である。
すなわち、看護日誌には、二月一日には病院内を散歩し、トイレにも数回、肩を支えられ歩行していたこと等、歩行に積極的であること、二月六日にはベッドサイドに自力で座り、介助なしで立位が少しでき、真由美自身以前より足に力が入ってきているように認識していること、また同日および翌七日には運動に対し積極的に取り組もうとしていること、さらに二月八日、同月九日には看護婦の眼から見ても他病室に遊びに出かける等、活気にあふれ、足もしっかりし、大分、力も入る様子になってきたことが、それぞれ記載されている。そしてこの間、本件疾患の重要な愁訴であるところの後頸部痛、頭痛、重圧感は一度として現れていない。
以上の外部所見からすれば、真由美本人も原告ら夫婦も、看護婦らも、おそらくは被告医師らもまた、真由美の症状が改善され、本件疾患は治癒、回復の途上にあると考えていたことに疑いがない。
さらに注目すべきことは、墨東病院における手術の実施(昭和五二年九月二八日)から、第一回手術の実施(同年一一月二五日)を余儀なくされるまで、僅かに五七日を数えられるにすぎなかったのに比し、第一回手術の実施から七〇日余りを経過した昭和五三年二月一〇日の時点の真由美の外部知見は前述のとおり極めて良好であり、第一回手術の直前の状態とは際だった相違を示している。この単純な比較からしても、丸山ワクチンによる治療法が奏功し、予想した以上の成果を修め、真由美の臨床症状は治癒・回復の途にあったことが明らかである。
四 ピシバニールによる治療を開始した昭和五三年二月九日から同年二月二一日までの臨床症状
この間の真由美の臨床症状は前半(一四日まで)と後半(一五日以降)とで決定的に異っている。
1 まず、前半についてみると、診療録にはピシバニールを施注したことを除いて何らの記載もないことから、最低限被告ら医師においても病状悪化ととらえていないことが明らかである。
看護日誌には、真由美が、二月九日には、歩行練習でめまいやふらつきがなくゆっくり両足を交互に出して歩くことができ、気分もすぐれていたこと、二月一〇日には、ベッドから降りて母親と楽しそうに談笑し、活気がみられ、手を引いて歩行することができたこと、翌一一日には、吐気、頭痛その他の苦痛の訴えがなくピシバニールの副作用と考えられる発熱の発現はあったものの、腫瘍の縮小、消失に起因する脳圧の低下のためと解される右側頭葉の陥没が見られたこと、二月一四日には、以前の側定値に比し可動域が広がっていることが、それぞれ記載されている。
以上の外部所見は、すべて真由美の臨床症状が良好なままに推移している様子を直截に表現したものにほかならない。
2 しかしながら、真由美の症状の改善はここまでであり、ピシバニールによる治療法に切り替えてから七日後の同年二月一五日を境に、坂道を転げ落ちるかのごとく急速に臨床症状が悪化し、腫瘍の増殖、悪化が再開したことをうかがわせる。
すなわち、診療録に奇妙なほどに記載することをしない被告医師らが、二月一五日以降は、真由美が高熱を発したこと、輸血の実施、血液検査の実施を各指示し、前回のCTスキャンの結果に留意し、ピシバニールの量を確認し、ピシバニールと丸山ワクチンの併用を可とすること等を診療録に記載し、真由美の症状の激変(悪化)に狼狽している様を看取することができる。
また、看護日誌には、ピシバニール投与の副作用と考えられる39.0度という高熱の出現(二月一五日)を転機として、二月一六日、再度全身倦怠感・後頭部から後頸部にかけての鈍痛が始まり、翌一七日、後頸部重圧感、会話がスローモーになってきていることが、二月一八日以降は後頭部痛、食思不振が重なってきたことが、それぞれ記載されている。
五 昭和五三年二月二二日から第一一回CTスキャンの撮影を実施した同年三月九日までの臨床症状
この間の真由美の臨床症状は、腫瘍の増殖悪化という不安が、臨床症状の悪化という形で現実化し、誰の眼にも動かすことができない事実として明らかになっていった過程であると形容することができる。
すなわち、診療録には、二月二二日の日付けで、ピシバニールの維持量が決定したら丸山ワクチンと併用する旨、また原告義文が被告ら医師に対し(1)CTスキャンを早期に実施してほしい、(2)最近元気がなくなり、食欲も落ちている、(3)頭部痛の訴えがある、(4)眼球の異物感がある、(5)このような状態になると以前は手術となったので親として心配であると訴えた旨が記載され、二月二八日、二九日の日付けで被告医師らが放射線照射の再開を決意したことが記載され、三月三日から真由美の顔面に蝶形紅斑が出現したことが記載され、三月九日の日付けで緊急CTスキャンが実施されたことが記載されている。
また、看護日誌によると、二月二二日、後頭部から後頸部にかけての疼痛、倦怠感が存在し、翌日もその後も同様であったこと、二月二五日本人も家族も疲れてきている様子が見られたこと、三月二日には吐気が、翌三日には眼の周囲の発赤、麻痺感がそれぞれ加わり、三月六日以降は対光反射にも麻痺が見られるようになったことがそれぞれ明らかである。
以上の臨床症状からすると、ピシバニールについては既にその副作用の発現があり、また同剤による治療法に変更してから真由美の症状は急激に悪化し、腫瘍の増大、悪化が、被告医師らのみならず看護婦にも原告らにも、また誰の眼から見ても疑いようのない事実として確認されるに至ったことが明らかである。
なお被告医師らの中にも、被告中沢のように、ピシバニールへの治療法の転換が効を奏しないばかりか病状の悪化をきたしていることを自覚し、同剤のみによる治療を僅か一〇日余り実施しただけで、丸山ワクチンの併用を考慮し、その旨を他の被告医師らに指示をした者も存在したが、結局、この併用療法も同年三月中旬になるまで実施されることなく、いたずらに腫瘍の増大及び悪化の追行を放置し、とり返しのつかない事態を招来することとなった。
六 以上のように、真由美の症状が昭和五三年一月二五日ころから被告らによるピシバニールの投与直後の昭和五三年二月一三日ころまでの間際立って改善されたのは、丸山ワクチンの投与の効果であることは明らかである。
別紙2 真由美の臨床症状の推移に関する被告らの反論
原告ら主張のように患者の症状が昭和五三年一月二五日ころから同年二月一三日ころまでの間きわだって改善されたと認め難いことは、以下に述べるところからも明らかである。
一 丸山ワクチン一本化投与までの症状の推移
真由美の症状が一〇月二〇日ころを境に悪化の一途をたどったような事実はない。すなわち、左片麻痺は入院時からあるもので不変であり、対光反射鈍麻は一〇月六日に既に観察されているし、一〇月一二日の診療録にも記載がある。コバルト六〇の照射後転い倦怠感や疲労感があり、右照射の影響と思われる嘔吐が一一月一二日に一回あったのみで、神経学的には第一回手術後とほとんど変りなく、患者はすこぶる元気で毎日のように散歩もし、また、数回にわたり、ときには友人と共に根津神社へも散歩に出ている。第二回手術は、後記三のとおり、患者の症状が悪化したために行ったのではない。なお、全身状態が良好であったことは、第二回手術記事(一一月二五日)にも記載されている。
第二回手術後の患者の状態は、診療録に正確に記載されている。すなわち一一月二六日の記載によると、意識清明であるが、左半身麻痺が手術前よりかなり強度に出現しており、顔面神経もより強い麻痺を伴ってきている。これは手術のため止むを得ないことであった。このため、左下肢は自発的に僅かに動かすことができたが、左上肢は自発的運動不可能となった。これに知覚障害も加わっている。左下肢に病的反射が出現し、さらに以前あった瞳孔左右不同(左>右)に加えて、左対光反射の鈍麻がしばしば出現するようになった。左半身麻痺の増強は、患者にとって精神的に極めて苦痛であり、このため、患者は精神的に鬱状態となり元気がなくなっていた。患者は半身麻痺が強度なためベッドからあまり動くこともできず、しばらくの間ベッド上でリハビリテーションを行い、徐々に下肢が動くようになり、一二月八日には一人でベッドに正座できるような訓練まで受けるようになった。また、一二月一〇日の眼科検査では、左同名半盲を認めるものの右のうっ血乳頭は改善されている旨の返事を得ている。
すなわち、第二回手術以降は、全身状態は良好であるが、アドリアマイシンの局所投与に続いてコバルト六〇の照射療法が行われ、かつ左半身麻痺に対して積極的なリハビリテーションが行われた時期であり、リハビリテーションにより下肢の運動は徐々に回復して一二月二二日歩行するに至ったのである。左半身麻痺の増悪及び二回にわたる手術等によりこの間患者は精神的に非常に苦しんだことが診療録及び看護記録から読みとれる。活気のなさ、食欲不振等はその現れであろう。患者は歩行可能となった一二月二二日ころから徐々に元気になってきている。
二 丸山ワクチン一本化投与開始(昭和五二年一二月二八日)以降昭和五三年一月二五日(第九回CTスキャン実施の日)までの症状の推移
外泊許可の理由は前記のとおりである。
昭和五三年一月四日の神経学的所見では、うっ血乳頭は消失してきているが、左半身麻痺及び左半身知覚障害があり、左半身の自動運動は少しずつ向上の傾向にある状態で、一二月下旬の状態がリハビリテーションによって僅かではあるが上向きになったことを示している。患者の精神的鬱状態は回復してきているようであり、一応の小康状態ということができよう。しかし、原告の主張するように一転して回復に向かったとみるべき根拠は何もない。
三 昭和五三年二月一日からピシバニールによる治療を開始した同年二月九日までの臨床症状
この間多少の症状の変動、特に自覚症状の変動はあったとしても、被告医師らが本疾患が治癒や回復過程にあるなどと考えたことは一度もない。
この間にもときどき食欲の不振を訴えているし、疲労感も訴えている。さらに、同年一月二二日の看護記録には、いつもねぼけているようであり、夕方三時ころというのに今は一一時かなどと母親に質問しているごとく母親もその異常に気付いている記載があるし、一月二三日には主治医によりはっきりと最近の精神機能の低下が指摘されている。
また、二月三日の記事には、日中傾眠傾向があり、呼んで開眠するが元気のないことが記載されている。そして、瞳孔左右不同と対光反射の鈍麻はこの間にしばしば記載されている。
すなわち、患者は第二回手術以来ほぼ固定した症状のもとで経過しているが、徐々に症状は増悪しているのであって、この間特に転快したとみるべきではない。すなわち、典型的な腫瘍型(又は漸次増悪型)の経過をたどっているのである。
そもそも、第二回手術は、患者の状態が悪化し早急に手術しなければ死をまねく状態であったから行ったのではない。第二回手術直後の時期は、コバルト六〇の照射中でありこの副作用と思われる食欲不振と嘔気が若干みられるが、患者は元気であり気嫌良好で活気があり、数回にわたり、ときには友人と共に根津神社にまで散歩している。また、精神機能の低下もみられず、時間を間違うようなこともなく、この時点での患者の状態は良好であった。しかし、被告らの主張5のとおり、CTスキャン上からみて、手術をしなければやがて近い将来脳ヘルニアを起こし危険となる可能性のあることを考慮し、患者の延命効果を期待して、状態が良好なのにもかかわらずあえて再手術に踏み切ったのである。
四 ピシバニールによる治療を開始した昭和五三年二月九日から同年二月二一日までの臨床症状
1 患者は漸次増悪型の悪性脳腫瘍特有の経過をたどっているもので、その間、発熱や下痢等を契機に一時的悪化を示すことはあっても、またそうした契機から一見増悪したかにみえても、いずれ進行性増悪の経過をゆっくりと歩んでゆくもので、急激な増悪の型は一度としてとっていない。
すなわち、原告らが主張するような二月一五日を境に坂道を転げ落ちるかのごとく急速に症状が悪化したという表現が当てはまる臨床症状の悪化は、実際にはなかったし、このようなことは診療録や看護記録中のどこを探しても見当たらない。
2 僅かに二月一五日には発熱があり、このため活気を失い食欲の低下があり、水分の摂取も少なかったので五パーセントブドウ糖液五〇〇ミリリットルの点滴が行われた。しかし、翌日には既に平熱となり、朝には空腹を訴えて元気に食事をしている。また、上下肢の屈伸運動練習も行っている。二月一七日には、テレビを見ながら食事をしており、いつもよりたくさん食べた旨の記載があり、さらに二月二一日の診療録には全身状態がむしろ上向きであることが記載されており、二月二三日には両親と車椅子で散歩しており、また、翌二四日には気分よく一階まで散歩している。さらに二六日には喫茶店まで出かけてレモンスカッシュを飲み、食欲は良好であると記載されており、三月一日にも散歩の記載があり、三月四日より五日にかけて自宅に帰宅外泊ができる程元気であった。
3 二月二一日及び二二日の二日間新鮮血輸血が行われているが、診療録にも明記されているように、当時患者の前頭葉への腫瘍の浸潤に対し、コバルト六〇の照射療法を一日も早く再開する必要があった。このため減少した白血球を増加させてやる必要があって特に新鮮血輸血を行ったのであり、患者の状態悪化のために行ったのではない。頻回な白血球検査もこのために行っていたものである。
診療録には、二月一八日及び二月二一日の回診時の記載があるが、そこでは患者の神経学的症状は全く不変であり、全身状態は上向きであることが記されており、原告の主張とは全く相反する。
五 昭和五三年二月二二日から第一一回CTスキャンの撮影を実施した同年三月九日までの臨床症状
この間も漸次増悪の臨床経過は認められるが、これらは悪性腫瘍共通の一貫した流れの中の漸次増悪であり、原告の主張するような特にこの時期を境とした急速な悪化ではない。
コバルト六〇の照射の再開は既に一月下旬に治療方針が決定していたもので、白血球減少のため中止していたのを白血球が輸血により増加してきたために再開したもので、急拠決定したのではない(これらの事情は診療録に記載のとおりである。)。
顔面の蝶形紅斑は薬剤とは無関係らしいとの専門医の意見があり僅か一日の出現から考えて本疾患とは無関係と思われる。また緊急CTスキャンというのは、患者の症状が悪く緊急に実施したという意味ではなく、単に申込順位を待たずたまたま別の予約者が来ないで空いた順位のところで実施できたという意味にすぎない。
また、対光反射の鈍麻も三月六日に始まったわけではなく、相当以前から観察されているものである。
以上のとおり、患者の臨床症状がピシバニール治療法に変更してから急激に悪化したという事実は全くないし、診療録や看護記録からもそのような事実を全く読みとれない。また、主治医や看護婦もそのような事実は認識していない。
被告中沢は、ピシバニールへ治療法の転換こそ効を奏してくれると期待しており、病状が悪化したとは全く考えていない。むしろ、二月二一日、二二日の診療録の記載にみられるごとく、神経学的所見は不変であり全身状態は上向きであることを確認しており、ピシバニールの継続を強く望んでいた。丸山ワクチンとの併用は、原告両名の希望もあることを考慮し、ピシバニールが維持量に達したらこれと併用することを原告両名と約束したもので、この方針は既に一月下旬にたてられていたものであり、その時点で改めて指示したものではない。
したがって、丸山ワクチンの併用を同年三月一三日まで中断したことが原告らの主張するように患者の腫瘍の増大及び悪化を放置したことになるものではない。